1月16日(水) 藪入り

 うす曇りのちうす晴れ。3℃〜5℃と終日低温に張り付く。残雪汚し。


 仏教には「無記」の教えというのがありまふ。これは形而上学的(抽象的)な問いに対しては判断を示さず、徒に無駄な論争を避けて、現実の苦しみを和らげるという仏道の実践に専念しようというものです。判断留保する形而上の問いとは、・この世界は生滅変化せず,永遠に存在するのか?・この世界は有限か無限か?・霊魂と肉体は同一か別か?・死後の世界はあるのか?・如来(神様)の死後の実在?など。
 「判断」というのは、それにより曖昧な世界を白か黒かに収斂させ、思考停止を招くのだ、という見方もありまふ。基本的に良く分かっていない(あるいは原理的に分からない)ものごとを想像であれこれ言い合っても無理無駄であるということでしょうか。勿論「判断」というものがとても大切な事柄もありまふ。判断対象がそのどちら(無記か要判断か)に属するのかという判断がまず最初に必要になるのでしょうね?タハ



 藪入りとは住み込みの奉公人が年に2回(正月とお盆)実家に帰れる日です。この風習は今でも正月休みとお盆休みの一斉帰省による大渋滞として受け継がれていまふ。タハ?




 たつるちゃんの「組織の失態を過剰に責めるのは如何なものか論」には多少同感のここちぞする。ハシゲさんもやり杉。そんなこと言ったら白虎隊の指導者はいったい何処へ逃げたんだい?歴史秘話ヒストリあを見てておもた。「弱いものをいじめてはなりませぬ」、「卑怯な振る舞いをしてはなりませぬ」ならぬものはなりませぬ!ってイイな。でもおせーる人からこれを破っちゃうんだよね、おうおうにして。ザンネン!





 寂しいと悲しいとは違うのかな?う〜ん、かなり違いますねぇ。氏んだ人は思い出の中で固定してます。自分の過去もすでに変えようがなく固定されます。んじゃ、氏と自分の過去はおんなじかよ?似てるが非なるものなーり。タハハ






 けろやん。ってシューベルトに似てるんじゃないかな?って時折り想像するんだけど、これは主観的な印象ですから本人でも分からないよね。ども。