9月28日(土)疑問は赤ちゃんの頃から、すべての始まりなのれすぅ

 引き続き秋晴れ、午後から少し雲が出る。16℃〜24℃と涼しい。
原宿方面に進出。やはし原宿は湾岸地区に比べて、しっとりとシックな風情がありまふねィ。明治神宮売店にて「山茶」を購入。ここの山茶は神宮境内で取れたものでとても味がイイのですぅ。






 疑問を疑問として疑問におもうのは何故か:

 わだすは、この世界とは何か?わだすとは何か?何かとは何か?という疑問に取りつかれてきますただ。
 「わだす」とか「意識」とか「こころ」というのは一種の幻想といふとこまでは分かった。ある意味では主観論。「われ思うゆえにわれあり」のイリュージョン。つまり我らは思い込みの世界で生きてるんでやんす。でも、しやわせならそれでいいよね。

 一般的にゆって疑問にはproblemっちゅう正解のある学校疑問と、solutionのあるビジネス疑問がありまふ。しかし世の中の疑問の大半は答えがなーい!いやむしろ答えれば答えるほどその奥に疑問の湧いてくる風船のような疑問ですぅ。哲学や科学はそのような疑問で満ち溢れています。科学はそれでも体系だって疑問と仮説を積み上げてますが、哲学は千年一日に同じような疑問に向き合ってまふ。

 だから哲学はもう答えを出すことよりも、如何に根本的な問いを立てるのか、に重心が移ってます。まさに塞翁が馬な相対主義ではござらんかえ?プ