12月8日(土)思考のツールに言葉を選んだのはグローバルじゃなーい!音楽・絵画は?

 晴れ。5℃〜16℃。午後から風強く大量の落葉。見境のないスピーカーで街が騒がしい。必死なんだろうなぁ。でも欧米にはない風景だなぁ。とかよしみっちゃんのような感想。



 今は米国の世紀でラテン語に代って英語がリンガフランカになっちまったですが、一昔前は仏語、独語、スペイン語などもある固定した地位を占めてましただすぅ。デカンショ辺りまではラテン語で書いて読む哲学でしたが、その後急速に話し言葉の哲学が流行り英・仏・独で特徴が出てまいりますただ。自然に根差した経験主義で人権や人格などを基礎づけた政治哲学の英国、観念・概念の理性的な側面を重視した観念論の独逸、合理的かつ精神的な折衷の仏蘭西、と文化や言語の特質によりかなーり色分けされてきますただ(勿論人間のやることですから、個別の例外はありますが)。 そして今はまた哲学の英語による統一が始まろうとしてまふ。独仏の英語化以外に英語圏のカナダ、オーストラリア、ニュージーランド、南ア、シンガポール、などでも英国、米国を凌駕するような新しい哲学が胎動し始めますただ。哲学は言葉によって思考を紡ぎ出すのれすから、そもそもの大本たる言語に還るは必然。仏・独の哲学はホントはその言語を身体的に習得しなければ真の理解は難しいと言われます。音楽や絵画に国境はなーい!とか言われてますが、哲学には国境がありますた。ハイデガーベルクソンはやっぱし原語で読まねばワッカンナーイ。この辺が素人のにわか勉強ではなかなか追いつかないところかな?んじゃ西田はどーだろ。これはこれで禅の体験が無ければむずかすいとゆわれてもす。んんん、何事もシンプルには行かんもんだすねィ。タハハ この辺りの難点をリンガフランカたる英語が克服でけるのか、はたまた薄っぺらい世界が現出するのかは、ひとえに今後の展開に掛かっていますのだ。ドヨドヨ




 真央ちゃん4年ぶりにグランプリファイナルで優勝!やはし真央ちゃんの滑りには天性のものを感じるなあ。単なる技術ではなくって、優雅でしなやかで品がある。心からおっめでとー♪