10月29日(月)ときにはボ〜っと、大らかに生きることも大切かと

 快晴。15℃~22℃。北寄りの風やや強く、遠方澄明なり。
 年末の予定が続々と入り、すでに忙しなし。秋の日と同様、年末の日数は釣べ落とし。



 意識の裏腹:
 物事に集中しなければ深みには達しない。しかし集中しすぎると逆に変人になってしまいます。これも裏腹。また人間には手に入る有意な情報の一部だけに注目して、その情報を過大視し他の情報を過小視する傾向があります。思考の無意識的な効率化とおもわれますが、これがときに悪さをいたします。
例1:隣の芝生は青い。隣の屋根や壁がボロくてもそこには目が行かず嫉妬に狂います。
例2:関連付け:収入は?結婚してますか?どんな仕事をしてますか?とか聞いてから「しやわせですか?」と聞くと、それぞれ収入や結婚や仕事と「幸福」を関連付けてしまいます。逆の順序で質問すると関連付けが起きません。これはカウンセリング手法にもなりますね。患者がすでに持っている性質やすでに出来ていることを聞いた後、しやわせですか?と聞くと幸福を実感するようだ。
例3:固着:逆に人間は、あれさえ持っていればしやわせになれる!あれができれば成功する!などと意味もなく一つに固着する傾向があります。可愛いアンも「赤毛でさえなければなあ」と劣等感を持ちました。これも意識の固着現象の一種です。
例4:視野狭窄:一つの見地に拘ると木を見て森が見えなくなります。自社製品の良いところだけに集中すると競合他社の利点を阻却しがちになります。短期的な利点だけに集中すると、中長期的な利益を見落とします。
ま、いずれにしろ余裕が無いと視野狭窄に陥り周りが見えなくなることは確かですから、多少アバウトに生きるのも時には必要でしょうね。ボーっと遠くを見ているような人が、実は変化を一番早く見つけれるのです、昼行燈?




overly critical society:過度に批判的な社会
人や地域や集団や組織の悪いとこばっかし穿って批判ばっかしするのはいい社会でしょうか?言ってる人はそれで自分が偉くなったと過信しますが、周りから見ればそれは単なる阿呆です。障子の桟の埃までチェックする姑根性となんら変わりはありません。家も社会もギスギスするだけですねぇ。もっと大らかに人のやることを見つめましょう。失敗者を励まし、成功者を応援し、傲慢者を窘め、集団として楽しく生きれる社会がエエですねィ。無謬性を目指す社会はときに暴走いたしまふ、ど、どもども。