10月13日(土)抽象なる言辞にロマンはあるのか

 爽やかな秋晴れ。18℃〜24℃、64%〜42%。


 有楽町方面にて活動量計を求める。メッツとかエクササイズの累積が自動的に計れるとか。ま、いわゆる一つの目安ですが金を掛けたほうが自覚的になれるかも。詳細は過去ログ:http://d.hatena.ne.jp/tamamusi/20110618


 ガード下で警視庁の物々しい警戒があるとおもたら、竹島問題のデモをやっていた。韓国と全ての経済関係を断絶せよ!とか自由陣営から韓国を追い出せ!とか街宣マイクでがなってます。まるでプチ中共ではないですかぁ。ま、境界争いなんて隣家とでも揉めますからね。10cm多いの少ないのと何十万円も掛けて測量して杭を打ったりして。しかし自分の土地でもないとこに必死になれるのは、やっぱしロマンなんですかねぇ。一所懸命? ぼくなんか千島・樺太から朝鮮・満州、中国沿海部・台湾、フィリピン、越南・マレーシア、ボルネオ・インドネシア、南洋の全ての島々まで、全部日本の勢力圏を真っ赤な色で示した世界地図を見てるから(戦時中の小学校で実際に貼られていたらすい)、それが4つの本土に縮小しただけで済んでさいわいとか思うですよ。本来なら(第一次大戦のころなら)北海道はロシアに、沖縄は中国に、小笠原諸島アメリカに取られていても仕方がない無条件の降伏ですからねィ。第三国である韓国が尻馬に乗るのはちょと微妙なとこですが対馬を寄こせと言いかねない。それが北方4島と人も住まない小さな島だけなら賠償としても小さなもの。何しろ無条件の降伏ですからねぇ。それにもともとアイヌ琉球を組み込んだのも江戸期から明治にかけてですからあんまし贅沢は言えまへん。とか言ふと非国民になるのかな?EUのような全く新しい枠組みを考え付かないと、境界争いなんて永遠に無くならんわなっ!とか威勢のイイ演説を聞いてておもたぞよ。ど、どもども。






 目玉が幾つも付いている蜘蛛とか、地下世界をひげと嗅覚だけで認識しているモグラの認識構造はとても推測だにでけまへんが、同じ人間の他者もその人の実感を共有するのは、実はとても難しいものなんす。例えばその昔、二子玉川高島屋あたりで車椅子に乗ったり目隠しをして街を歩いたりする催しに参加したことがあるんす。街の感じ方そのものがガラっと変わってしまい最初は驚きます。車椅子はとても目線が低くて見通しが悪いし雑踏がとても怖いです。歩きたばこの人の火が付きそうになったり手が当たりそうになったり。目隠しをして歩くと、例え手を引かれていても方々にぶつかったりちょっとした段差で躓いたりしてとても不安になりまふ。直接その環境に身を置いてみないと人の気持ちはなかなか実感できないものですねぇ。





 「一人の命は地球より重い!」なんて言辞に何の意味があるのかっ!まったくもって抽象的の極み。この地上では毎年毎年1億人以上が生まれ、1億人近くが氏んでまふ。(ホントは生まれる方がずっつ多いらすいんだが)そのバランスが70億人超。http://www.arkot.com/jinkou/  註:ヒトの精子も一人で一日にそれ位の消滅をくり返してまふね。冷静にクールに政策的に感情を交えずに考量したれば、何万人も助けれる新薬を1人の副作用を怖れて導入に逡巡するのは痴呆の極みとか思いませんかぇ?はいそーですかそーですか。やっぱし感情は理性を凌駕すると。トホ