7月30日(月)ニュース百景、国会前デモ

 夏晴れ。久しぶりにツカイスリーが真近に見える。


 ネットでニュース見てたら、7.29国会前デモの参加人数にえらく差があった。いわく、記者クラブによる警察への取材人数は1万5千人、デモ主催者発表20万人。今ここで起きている出来事にこんだけ差があるっつうことは、歴史上の人数をどー判断したらいいんでしょ?今川義元10万の軍勢を率いて上洛を志すとか。一説には1万5千人くらいだったといふ話もありまふ。ステークホルダー(昔この言葉が大好きな御仁がいたなあ)の主観にはかほどの差がでるのは歴史の必然!しからば、中立なる組織の客観的な数字を何故挙げんのか?例えば趣味の集団@日本野鳥の会の探鳥クラブ。彼らの計数によれば、デモ参加者は8万人+アルファのようだ。しかしよくよく考えれば、そもそもデモ参加者の定義が曖昧であーる!シュプレヒコール上げて隊列組んで練り歩くのが参加者か、はたまたその辺に集まっている人を全部含めるのか?ま、デモに関心を持ってわざわざ集まってきたのも参加者と見做すのがイイようなキモス。原発賛成者が居たならば、賛成のシュプレヒコールとか旗を立てるのが真っ当じゃないのかな。こういうのを組織化するのが居ないのは、やっぱし金持ち喧嘩せず!ってとこなのかなあ?とは言え、自分の意見を主張するのは国民の権利(ガス抜き?)ではあるのだから、デモは規制してはならない。にも拘らずマスコミは情報面では警察の情報垂れ流しで、これは規制とおんなじである。つまりデモを過小評価しようとする志向。中立な技術団体たる探鳥の会諸氏の計数を報道するのが公正な報道と思えるがどーか。ただし、このような大衆蜂起に対する異論として「日比谷焼打事件」を賢しらに論う者もいるが、これは正しい情報を流さなかった副作用であろうか。もし今行われている国会周辺デモを非難する者がいるのなら、それは偏に情報統制の故ならむ。ジャン



何れにせよ、思い出は過去を強調する。美化するか、更に嫌な記憶を強化するか。輪郭強調する脳神経系のように、すっきりと過去を整合させ合理化する。じっくりと過去の出来事を詳細に書き出し、客観化すると、海外生活は凄まじい戦闘の最中にあって良くない印象を浮かび上がらせる。でも、淡い思い出の中のそれは甘美で楽しいものであった。今現地を再訪したならば、さぞかし余裕を持って楽しめるのであろうかな!とは思えども、それはそれであんまし面白くないって気もしまふぅ。認識の時間的な変質なり。しやわせも斯くたるべし。嗚呼!



ん?途中で居眠りしちゃったから、本稿の意図も変質したのかもしれんなぁ。元々言いたかったのは、主観で計数は変質するってことでやんすよ。歴史であれ、現在のニュースであれ。