1月11日(火)鏡開き。個別と普遍論争。

 概ね雨、ときどき止む。7.2℃~4.3℃、93%。4500歩。今回は雪にならなかった。

 今日は鏡餅を開いて食べる日です。汁粉を作った。検診に行く。今回は動脈硬化測定を入れてみた。

 

 インタヴューとは:

 なんかオリンピック反対デモにカネ貰って参加したというNHKドキュメンタリーがやらせじゃないかと騒がれてますね。だいたい街頭インタビューで世相を切り取ろうってな試みが実情を反映するかどーかってのには、昔から疑義が挟まれてました。対象選択のランダム性を確保できるのか?というのと、その後の編集過程の中立性が担保されてるのか?という2大疑問が払しょくできないからです。

 仮にこれらが公平公正に確保されてたとしても、統計的に正しいのか?というのは別問題です。そもそも統計自体に改ざんが行われる昨今、何を根拠にして信頼するのか?っつう根本問題も存在します。ま、でも、正確な統計を基にして信頼を積み上げるのが普通でしょう。なぜなら個別の事例では、なんでも印象操作が出来てしまうからです。

 個別と普遍という古代からの哲学的議論はありますが、そもそも言葉を使う人間は普遍を志向しなければなりません。なぜなら言語自体が個別の現象を同一化してそれに記号を振った概念に基づくものだからです。個別に見ればすべて異なるりんごのイデア(本質?)を抽出して同一化するわけです。動物はこれが出来ませんから、すべて異なるものとして認識します。

 音に関しても動物は全て絶対音感で認識しますから、少しでも波長の違う音は違う音とします。人間は相対的な比で相対的にメロディーを認識できるから、絶対音感の動物より複雑化してるのかな?ともあれ人間は個別具体なインタヴューなどではなく、もう少し普遍的な統計で社会情勢を分析するものなんすね。

 最近の事例ですと、高齢者の自動車事故が個別詳細に取り上げられることが多いですが、単位人口当たりの事故率は85歳以上の高齢者より。10代20代の若者の方がずーっと大きいのですよ。でも、ニュースで個別に取り上げられてるのは、老人の事故の方がダントツに多いです。それで政治家はポピュリストが多いですから、老人に厳しい規制が掛かるわけです。

 ま、すべての事項に統計的な検証を掛けるわけにもいきませんが、あまりにも印象論に偏り過ぎた議論には、眉に唾を付けるくらいの用心は必要でしょう。かな?