6月28日(木)動物にもこころは在るのか(考)

 終日うす曇り。25℃前後と過ごしやすい気候。

 上野の日本藝術院に寄ってみた。三浦朱門院長下、日本の芸術にお上のお墨付きを与える既得権の殿堂。だいたい文科省が藝術を主導しようなんておこがましいよね。とは言え、重々しくも箔のついた作品が並んでました。オーラの法則かな?もちろんコンテンポラリーなのは無し。すぐ近くの旦妃楼で創作中華を食す。こちらはうまかっしも。


 こころの機能のうち記憶と学習は殆どの生物が持っていると考えられる基本的なものです。昆虫だってメダカだって、いや粘菌だって記憶と学習機能は程度の差はあれ持ってまふ。これを無くしたら植物人間?いやいや植物だって良く見ると記憶と学習はしてますぜい。学習しないし、できないのは驕り高ぶった傲慢なジンブツですね。政治家・企業家、評論家・官僚などの頭よさげな人に多いです。プ

 意識の不思議:心理的な壁
 フナの甘露煮なんかは食べれるのに金魚のから揚げは食べれません。遺伝的には全く同じなのにね。鶏の照り焼きは食べれるのに、手乗り文鳥は可哀そうで食べれません。豚は食べれるのに、犬や猫は食べれません。これ即ち、ペットにすると感情移入が起きる為です。ひょっとして他国人に感情移入さえできれば、戦争なんか起こらないかも知れんねぇ。ドッボーン
 つうことで、「豚」を積極的に医療の実験動物として使おうか、とのプロジェクトあり(東北ピッグセンター構想)。解剖学的に人に近いとされるブタさんは外科手術の研修や先端手術の研究に良く使われていましたが、この動きを活発化させるとともに、ブタさんの体内で人間の臓器を育てる再生医療にも生かそうとの構想。更に東北の畜産業復興を支援し、日本全体に先端医療を広げる拠点にしようという試みです。動物が可哀そうとの声もありますが、食べるのと実験に使うのの差は何か?これを徹底するのならばブッダのように一切の肉食を断たねばなりまへん。せめて動物に実験時の苦痛を与えないようにし、感謝の念をもって使うことだと思いました。ナムナム


 動物で精神疾患を研究できるのか?
 動物にも心はあるのかと言われれば、質の違いは在れどもこころは存在するといへるです。しかしマウスやマーモセット、おサルさんで実験したことがそのままヒトにも当てはまるとは限りまへん。遺伝子レベルや脳構造的には共通の部分が多いですから、侵襲的な実験は動物で行い、目途を付けたところで非侵襲的な実験をヒトで確認するといふ2ステップが必要でしょうね。
 また病名が症状の名前に止まっている精神疾患(鬱や失調症など)と、具体的な組織の疾患で即物的な病名がついているもの(抗NMDA受容体脳症など)とでは、後者の方がより動物実験に適しているといへるかも。しかし薬の効き具合の一手段としては前者の実験にもマウスなんかが使われてまふ。
 これはマウスを逆さ吊りしたり、走り車に細工したりしてストレスを与え、水に落とすというマウスに取っては多少残酷な実験です。ストレスで鬱状態になったマウスは水中でもがくのをすぐ止めてしまうのっす。抗鬱剤を処方してもがく時間の長さで、その聞き具合を判定するんだと。(もちろんそのあとでヒトでの治験はありますが。)あ〜ああ、ヒトってある意味やりたい放題れすねィ。ま、脳内組織の色々な部分でその役割が解明されつつありますが、この百年間で精神疾患の約1/3の機序が解明され、残りの2/3が未だ症状名の疾患として残っています。これらすべてが機能の疾患として解明されれば、精神疾患に対する無知蒙昧な偏見が解消されるでありましょう。「ちょっと腹痛の薬をもらってくるわ。」くらいに早くなるといいですね。ポーン