薄い雲に覆われた晴れ。適度な気温。
だいたい生活のほとんどは実は無意識なんです。足をこう動かして、この筋肉を使って、手はこう振って、などと歩く人はおりません。発声も食事も運動もほとんどの動作は無意識です。いやむしろ意識して何かをやろうとすると返って上手く行きません。心身一如つうのが芸術にしろスポーツにしろ達人の境地でやんすよ。あとはかだらに覚え込ませるだけ。つう観点からは、概念を弄ぶ哲学なんて生きにくさの極致じゃないのかな?タハハ
にしても虫や鳥や蝙蝠の飛翔を見ているとスゴイな。どんなに混み合って、高速で動いていてもお互いにぶつからないし、障害物もちゃんと認識して潜り抜ける。ここまで行かなくても樹冠の猿は枝から枝へ高速で移動できます。つまり大脳は運動の邪魔をしてるのではないかと?こう考えるとたちゅるくんのいふ「石火の機」というのも分からんではない。いわゆるひとつの修行でたどり着けるのかもしれません。でも、いくら考えたってでけまへん。だって虫でも鳥でも猿でも出来てんだからねぇ。
何事も考え過ぎはいけません。