6月29日(金)ゴーヤ可愛いや、可愛いやゴーヤ♪

 朝のうち曇り、午後から青い空白い雲の爽やかな晴れ。

 ピアノとフルートの週末演奏を聞いた。また清々しけれ♪ 日比谷公園の金曜コンサートはまだやってるのかな?




 ゴーヤの悲喜こもごも:
 グリーンカーテン用の深めなプランターにアバシゴーヤと白れいしの2株が植わってます。後で環境フェアで頂いたアバシゴーヤを丸鉢に植えました。縦横1.8mの網を支柱に張って、3株の蔓を這わせます。最初に買ったアバシの成長が一番早くていち早く摘芯し順調に子蔓も伸びてきました。 しかし先日の台風で痛められ葉のふちが黒ずんで元気なし。痛んだ葉っぱを全部摘除して再起を期す。一方最初から2蔓で伸びていた白れいしは背は低いががっちり伸びてそろそろ摘芯時か。追って第二のアバシがヒョロヒョロと白レイシを追う展開。必ずしも先頭を走ってるのがイイとは限らない例でした。いや〜、ゴーヤの縁で近所のおねいさんたちと言葉を交わす仲になりますた。災害時には近隣のつながりがとても大切ですからねィ。
 気が早くも、ゴーヤのレシピを色々と研究中。獲らぬ狸の皮算用。輪切りにして、種もワタも込みの丸ごと天ぷらが一番簡単そうだな。




 物事の理解には色々な方法がありまふ。直接経験するとか、人から話を聞くとか。体で分かるってのもあります。新しい理論の発見というのは、これまで誰もしたことのない見方を突然の天啓で為すものだというのと、いやいや今まで内在していた認識がふとした弾みで浮上したものだと、分かれます。3次元あるいは4次元の世界で暮らす人間が6次元を理解するのは経験ではありません。数学的実体と言う極めて抽象的な実感があるのはホントです。でも2次元や1次元は誰でも常識で理解できます。見地が高ければ、低次元の理解は容易いと。高次に立てば低次は良く見える原理は、何にでも当て嵌まりまふ。それ故に、我々は低次元の当否に拘ってはなりませんのだ。





 我々の認識構造を、我々の認識構造が理解できるのか?これは合わせ鏡のような無限ループになりそな悪寒。何もない空間に2枚の鏡を面対させて、それが何を写すと言うのかや。ドッボーン







 そだ、忘れんうちに記しておこ:
 動物の記憶と学習:最近の都会鳥はハトやカモメだけではなく、雀まで逃げません。手乗り雀になりそなキモス。池へ行けば、アヒルや鴨ばかりではなく鯉や亀まで寄ってきまふ。ヒトは我らを傷つけず、餌までくれると学習し記憶した結果でせう。虫だって姿を見せたら苛めてみ。あっという間に警戒を強めるから。次は植物への飴と鞭を試してみよぉ〜お♪






 さて今日は眼が冴えてるから朝までテレビみるか本を読むか、どっちにしようかなっ?