5月16日(水)有限なる人間が世界のことをどんだけ分かるのか(酔考)

 晴れ。巷には初夏の気配。



 「きみは世界のことをどれくらい知っていると思いますか?」と聞く人がいた。「まあ、半分くらいかなあ。」と謙遜する人も、「ま、見るべきものは見たし、知るべきことはおおよそ知ったよ。」という自信家もいまふ。ソクラテスは「無知の知」ということを言っていて、自分がどれくらい物事を知らないかを知るのが哲学の始まりであーる、と弟子を諭した。科学技術や人文学の発展により、ギリシャ時代に比べれば膨大な知識の集積ができた。現代の中学生の方がアルキメデスよりか知識量は豊富です。しかし彼らはアルキメデスより賢いとはいへません。つうような高尚な話を昨晩、酔った頭で話してたという記憶が薄っすらと浮かんできたぞ。質問者はなぜそんなことを聞いたんだろ?だれか知識をひけらかした奴がいたのかな。ぼくは酔って半分居眠りをしていたが、例えばこう答えたかもしれない。「全宇宙、全世界の森羅万象すべての出来事は無数にあって無限大である。しかるに人の知識はどんなに頑張っても有限であるから、有限÷無限大=ゼロという比率になるぞ。」と。前に物理学会の権威がこんな話をしてました、「知識とは風船のようなもので、色々と分かって知識の量が増大すると風船はどんどん膨らんでいく。しかし未知との界面のゴムの部分は比例して大きくなるから、研究すればするほど分からないことも増えていきます。キッパリ」だってよー。んじゃ際限ねえじゃんかよ(怒)!と思って諦めきれないのが人類の知識欲なんでしょうねぇ。世界で毎年どれくらいの本や論文が発表されてんだろ?因果なことです。