4月26日(木)やったぜトーチャン、持ってたホイ♪

 煙雨ときおり弱雨ぱらぱら。街路樹の新緑鮮やか。




 オザーさんの無罪判決で号外も出たとか。これで政局は混迷の様相。って、こんな政局ばっかしやってるから政治の地盤が沈下するんでね?もっと堂々とした世界観や政策論争で争ってオクレ!政治とカネとかゆってるけど、カネが問題なんじゃ無くって、その出所が不正だったらいけないんでしょ?収賄とか利益誘導とかの。全部ネットの個人寄付にしてしまえば問題は少なくなるんでしょうが、果たしてそこまで民度が上がるのかどーか。これは知的想像力・推理力の問題。目先の利益でタコの足を喰うのか、中期的な百俵の米か!政策を訴える優良メルマガで稼げるようになったら政治家も一人前とかは夢のまた夢なのかな。プ 党議拘束をもっと緩くして、個人が立ってきたらようやく民主主義も成熟するのかなぁ。党の為に政治しているようなのは、なんか空しいよね。でも、これも目的と手段のパラドックス。力を持たなけりゃ理想を実現でけないし、理想に従っていたら力を持てないと。どないせいっちゅんじゃー!ちょとメタな視点を持てればホントに下らないんだけどねー♪あと50年もしたら政治家はみんなヴァニッシュしてるんすから、もっと本音で考えて貰いたいですぅ。




 死生観:
 古代ギリシャ・ローマや古代中国などではあんまししむことを怖がっていないんすね。むしろ名誉を失うほうを怖れる。ごく自然に受け入れてるように見えます。あっちを信じていたからかなぁ?あっちを信じれれば、こっちの行いも変わると。これもイマジネーションのちから?今では生きるかしむはイチゼロの世界。100%か0%か。しかし古代中国では120%しむとか80%しむっつうのがあったんすね。要素は死に方と子孫の問題。死体が毀損されれば生まれ変われないから首チョンパは嫌じゃ、一族郎党全部しむと誰も祭ってくれないし子孫も絶えるからこれも嫌じゃ、つうのが120%の死。ふつうに畳の上で死んで子孫が生きながらえれば80%の死。その中間が100%の死だってYO-!だから相手を滅ぼすときは120%殲滅したんだと。徹底してまふねィ。いや中世日本にもあったんすよ、一家眷属殲滅ってのが。ゾゾーッ





 人間が今していること、相手が牛や豚、鶏だと思えばなんでもできますね。良心の咎めすら無くして。まだ、やあやあと名乗り合ってる頃は相手を人間として認めていたが、毒ガス、原爆などの無差別兵器を操る頃は相手は押しつぶすダニや毛じらみ、何の良心も痛みません。プ シッダルタはこの辺の考え方がもうちっと広かったような希ガス。生物皆兄弟!