4月21日(土)不決断の思想

 少し寒めの曇り。

 郊外の方へ行ってきた。3万歩。さあネットを捨てて野にでよう!新緑の季節。草餅の香り高し。



 大風呂敷を広げるほど中身は薄くなる、というのはある程度普遍性があるな。東京、日本、東洋とか広がると偏差値っつう変な尺度もだんだん薄くなる。世界大学とか宇宙大学ができない所以であーる。大風呂敷広げるのは詐欺師か道化者くらいでしょう。身近な事例から遠ざかり抽象化するほど、人はそれを信じやすくなりまふ。




 社会も生態系も生命体も一つの複雑系ですから、単純な一方向性といふことは絶対にありません。一つの要素の僅かな変化が良いか悪いかは別にして、全体に影響するのです。もともと良い/悪いはある基準に基づいた価値判断ですからね。ときに逆転します。ですから賢しらにものごとを断定してはならんのれすぅ。ま、ありていに言へばバランスってのが複雑系の要諦ですかねぇ?





 こういう「全体の思想」ってのはもともと古代中国の特徴でやんすよ。血気陰陽の流れとかツボの刺激による全身の改善。これは風水や五行の思想とも結びつきます。しかして病になる前にこれを防ぎ、乱が起きる前にこれを抑えると。戦わずして勝つが上策。そしてそのために情報を重視すると。昔のしとは偉かった。病気も政治もすべて人間関係に帰着して理解するのも古代中国の特徴れす。人間関係の描写にかけてはあらゆる文明の中で一番ですねえ。そしてここでの肝は柔らかく弱いものは、堅く強いものに勝るといふ原理です。赤ちゃんと老人、生者と死者、柳と樫、柔構造免震はつおい。ゆえに国威発揚強勢大国よりか柔弱な脳内お花畑平和主義のほうが勝つのは火を見るより明らかっ!デスカ?






 何事にせよ、正解/不正解は時間軸上のお話しれすから、「めでたしめでたし」で話は終わっても、その後はいくらでも続くのです。時に終わりがあるといふなら別ですが。生きてしむわたし。塞翁が馬。