3月31日 イノヴェーション考、如何に困難かを軽く考える

 春の強風が過ぎたら寒くなった

 市ヶ谷から九段まで歩く。桜の蕾の下で桜祭りが始まっていた。もう既にすごい人出だなあ。お人見。プ

 イノヴェーションというのは「新しい結合」といふ語義があり、科学の手段である要素還元よりも俯瞰統合に重きが置かれる。ものをどんどん分けていって要素に還元し分かった気になるのは比較的容易であーる。学問は本質的に細分化され深堀される傾向がある。近年、このような専門化の弊害が認識され、全体を俯瞰して細分化された諸分野を統合する試みが志向され始めた。
 しかし、これは思ったより難航している。所謂、「逆問題」の困難さは時計の比喩でも表される。精巧な機械式時計を分解して部品に還元するのは時計ドライバーさえあれば経験の浅い人でも出来るかもしれない、だが、それを組み立てて元の正確に時を刻む状態に復元するのは容易ではない。イノヴェーションが難しい所以である。
 また異分野の統合も難しい課題に直面する。所謂「無益の連鎖」と呼ばれる関心の解離である。あるとき47名のノーベル賞受賞者が一堂に会して議論を行った。しかしこの人たちはある専門分野に深く特化しているので、自分のやっている事には詳しいが他の人のやっていることには無関心で、バラバラな発言が有効な議論を為さない。結局、無益な言いっぱなしになってしまったと。
 斯様な状況を打破するのがパースのアブダクションであり、観察された結果から最も尤もらしい原因を探っていく手法である。アブダクションは、一般的な法則から個々の事例を論証するデダクション(演繹)と、個々の事例から一般的な法則を探るインダクション(帰納)を交互に繰り返しつつ、結果から原因を推測するプロセスであり、観測事実に対する 説明を見つけるという推論のことである。しかしこれは言われているほど簡単なプロセスではなく、時間軸に沿った綿密な観察と、「原因は必ず結果に先行する」といふ信念を堅持することが肝要であーる。
 意図したイノヴェーションが困難なのはこのような帰納と演繹、偶然と必然、ア・ポステリオリ(経験的)とア・プリオリ(先験的)な要素が糾う縄のように入り混じるからであーる。要は長い間の苦しい継続的な思考と突然の天啓(直観)が必要なのれすね。そこんとこよろすく。








 おおー!大ちゃん完璧な滑り。ユズルもメダル!
佑ちゃんも大ちゃんも真央ちゃんも身体能力抜群で同時期に出てきたが、それよりも前向きな闘争心がつおいんだろうな。いやいやそれより何より、いくら貶されても自信を失わずに継続的な努力がでける資質が大きいのかも知れない。