3月11日(日)大震災は何をもたらしたのか

 雲の多い晴れと雲の多い曇りが混じった1日 

 3月11日午後2時46分がやってまいりました。
 1分間黙とう。
 色々なことがあって、でもあっと言う間に過ぎた1年でした。維新前/維新後、戦前/戦後、と同じくらいに大震災前/大震災後が語られるくらいのショックを社会に与えたと思います。特に今まで密かに感じてはいたけれど露わにはならなかった社会の歪が顕在化したこと。政官財報法教など社会のあらゆる面での真の姿が露わになりました。口をとがらせて文句ばっかし言う人々も輩出しましたが、震災前の全てを否定するのではなくして良いところは残し残念なところは変革するって前向きな志向がほすいよね。そうで無ければ前大戦の反省のように1億総懺悔で体制の底流は何にも変わらないっつうようになる惧れあり。

 日本全国でたくさんの震災関係イヴェントがありましたが、ぼくは手近の日経「震災1年メモリアルフォーラム」に行ってきました。同時に「東日本大震災報道写真ギャラリー」もやってます。写真を見ている内に滂沱となって、今ぼくは何を出来るのかっ!と無力さを感じました。出来る限りの寄付はしてるんですが、人はお金だけじゃないものね。耐え忍ぶ心と連帯つう美点の影に偏見と排除の論理も見え隠れして福島の人々を苦しめてますから、それだけは何としても反対していきます。瓦礫受け入れにも賛成していきます。自分にできることは,忘れずに悲しみを共有することくらいだけなのか。