3月10日(土)音楽の可能性を追求したひと

 朝のうち雪、のち弱雨、夕刻から曇り。

 電子音楽の雄、冨田勲センセとケニチローさんのUSTを見た。80歳になんなんとする富田センセの感性の柔軟さにおどれーた。人工音と蔑まれた時代を切り開いた勇気を「とても不安でした」と淡々と振り返る。全ての仕事を断って、1年半かけて作ったシンセサイザー交響曲は日本では誰も営業してくれない。それで全財産を賭けてアメリカに持っていったら、無名の日本人をたまたまRCAが拾ってくれた。これが日本でもヒットする要因だった、というのが独自の判断基準を持たない辺境民の特徴ですよね。プ 日本で売れなけりゃ欧米や中国で評判取ろうとか。人の評価が我が評価と。
 ま、それでも偉いよね。なにしろ自分を乾坤一擲に賭けたんすから。今でも暗い海にボートで漕ぎだし、仲間はみんな離れて行ってしもたっつう悪夢を見るらしいんだ。正規の音楽教育を受けていない中で好きな音響に賭けた人生は清々しい。琴とオーケストラの収録の中で、駒が落ちてコンコンコロリと音が鳴って技術陣は再集録を提案したが、あまりにも緊張感あふれた琴の音を生かすため譜面に転がる音を書き足したとか。「ノイズと楽器を誰が決めるのか!」すべての音響を愛した男の言葉。シンセサイザーが人工電子音とバカにされていた風潮の中、「雷鳴だって電子音だが自然音だっ!」と全ての音響の平等を唱えた。
 ローランドの電子オルガンで橘ゆりさんが一人オーケストラを披露して聴衆を驚かせた後、質疑で幕を閉じたスペシャル対談。音楽が国境を超える言葉であるのなら、本来何の制約もないはずだっちゅう生き方を体現しているおじいさんであった。