2012年1月4日(水)エア旅行って面白いもんですねぇ


 こんにちは。北寄りの風やや強く、概ね晴れ。やや乾燥。
って、これは昨日と同じ文言。気温10℃とやや高めなれども、
典型的な冬日が続きますぅ。






 今日から一部の人は出勤とか。ゴクローさん!でも、スー
パーは休日並みに混んでました。冬ものバーゲンが始まる。
さあ、これからは冬物を何時買うかの気温と値段のチキンゲ
ームになりまふよ。スリル満点!タハハハ 流行に流されない人
なら冬の終わりに来冬用のを買えば7割、8割引きは当たり前。








 ヒマにまかせてGoogleで地図散歩:
 今日はおフランス方面に出かけてミタ。カエサルの「ガリ
戦記」最大の激戦地、欧州の未来を決めた関ヶ原、「アレシア
攻防戦」の戦場跡@アリーズ・サント・レーヌつうところ。
この戦いにより、ローマはガリア全土(フランス)を支配下
置き、ガリア(ケルト)文化は英国の一部に追いやられた。










 位置はパリから南東に進みブルゴーニュ公国の旧首都ディジ
ョンに至るちょっと手前のところ。パリから200kmくらい、
セーヌの源流から20kmほど離れたところ。この道をそのま
ま延長するとスイスのローザンヌ経由、ミラノに至る。








 部族間で争っていたガリアがローマ軍団に浸食されつつあっ
た時、20歳の若き英雄ウェルキンゲトリクスガリア部族を
纏めカエサル軍団に一大決戦を挑んだ(BC52年)ところ。
カエサルはこの城を1か月で作った防塁(16km)で囲み、
籠ったガリア軍8万+住民を兵糧攻めにした。(この辺は秀吉
に似てますね)焦ったウェル金将軍はガリア全土に檄文を回し
援軍を募ると、たちまち26万人の応援部隊が参集した。まさに
ガリア対ローマの最終決戦にふさわしいものであった。













 驚いたカエサルは作った防塁の更に外側にガリア援軍を防ぐ
ための対塁を総延長21kmに渡って作ったのだ。ローマ軍
6万はその防塁と対塁の間に籠る格好になった。









 この防塁と対塁はローマの土木技術の粋を集めたもので、
何重もの壕と逆茂木と落とし穴や刺などのトラップを張り巡
らせていた。ガリア軍は内、外ともにこの塁を突破できずに
壊滅した。ここにガリア全土のローマ支配が確立し、今の
ヨーロッパ文化がラテン寄りに固まったのであった。
アレシアの戦い










 てなのを読みながらエア旅行していると時の経つのを忘れ
ます。そう言えば、地球から宇宙の果てへ4次元空間を旅行
できるMitaka つうソフトを発注したんです。講談社ブルー
バックス製、(小久保英一郎監修。)ワクワク













 ディジタル社会も便利になりましたねィ。ドモドモ













ドーーーーモ