7月2日(土)デカンヘ〜からデカンショって誤解なのん?

 こんにちは。概ねうす曇り。時折日差し、また時折雨滴。
気温ちょこっと低下。梔子(くちなし)のかほりほのかなり。
















 ショーペンハウア〜は金持ちのお坊ちゃん、なのに道楽で
ペシミズムっと。普通、智を愛する者は貧乏人が多いのだ。
フィヒテなんてド貧乏。カントに帰郷費を借りようとしたが、
カントもド貧乏だったから金が無い。そこで持ってきた論文
を版元に紹介したら気に入られ、かねを前借でけたと。
これがフィヒテ出世作となりまひた。ルソーの貧乏噺なん
かも悲惨ですねぇ。子供を全部孤児院に預けたりして。人生
の悲哀が哲学に導くって、ある意味、宗教と似てるかもね。
















 当時の大御所は異常な自信家のヘーゲルだったですが、こ
れに楯突いた流行作家のショペンくんの本が一時的に多かっ
たから、明治の輸入学者が間違えて日本に導入したのがデカン
ショの始まりだったとか。ホントなら「デ・カン・ヘー」つう
ちと締まらん歌で半年暮らしてたとこらすいぞ。ヘ~ヘ~ヘ~














っっと、ちとお出かけ。また後でね。しばしメンゴ。













 え、え〜と。どもども。でわ続きを一席。19:30
実は16時から本マグロの解体販売があってね。ウッマ〜




ショペン氏の代表作は「意志と表象としての世界」でしたね。
表象界つうのは普通の時間空間の枠内で因果律に従う自然界
のことです。意志の世界は超越界で現象の裏にあるものを指
します。カントは後者を実在界といって、誰にも把握不可能
だから論ずることは止めようという不可知論を採りました。













 ショペン氏は身体論を以ってこの間の橋渡しを試みました。
即ち、身体は外から見れば物体で因果律などの自然法則に従
います。一方、内側から見ると自分の意志で自由に動きを支
配でけると。この意志は自然界全てに渡る根源的なもんで、
重力、磁力、潮の干満、植物の成長や動物の本能、さらに
人間の知性にまで及ぶと。これを我々は内側から感じれるか
ら不可知ではないと、屁理屈を述べました。












 そして人間のこの根源的な意思は、盲目的な生へのしがみ
付きで、ここからイロエロな欲望や殺し合いまで生じると。
例えばアリンコは1日中うろちょろ動き回っているが、何の
為なのか、その目的や意味が思いつかない。何世代も進歩発
展もなく、ただ種の保存しかない。個々のアリは種に仕えて
いるだけで、それこそ盲目的で悲惨な苦の世界でアリ、人間
もまたそれと変わらない。つうペシミズムを唱え、これがま
た当時の風潮にマッチして流行ったと。











 で、ほんとはこの盲目的な意思の世界からの救済論が彼の
趣意なんすよ。これも在り来たりれすけどね。
その1.一時的救済:芸術的観照による意味の付与。
    自己を忘れる忘我の境地でカタルシス(自己浄化)。
その2.永続的救済:盲目的意志を否定する禁欲的な解脱。
    博愛、公正、共感で自己執着から脱出できるのだ。


 しかしその彼自身の生活はホリエモンみたいなマネーゲー
マーで快楽主義。その矛盾を突かれたら、「哲学者は宗教家
になる必要はなーい!」だってよおおおおおお〜。屁理屈家。









 ここで幾つかの疑問に対する彼の答
Q:盲目的な意思の否定が救済なら、自殺が最高の徳なの?
A:強い欲望、執着の虜になりそれが果たされなかった(例
  えば失恋、無一文になる等)のが動機。元々執着のない
  人は自殺しまへんよ。
Q:それなら「自死という生き方」は?
A:悩みからのものでなければありうる。盛りを過ぎた姿は
  見たくないという、弱さは感じれるけどね。
 ヘーリクツ、ヘーリクツ、ヘリクツヘリクツ、ヘーリクッツ、タハハハ














 ま、落ち込んでいるときの気分直しに、「毒には毒をもっ
て制す」くらいには使えるかもしれん。だいたい生きてること
自体が盲目的意志で切ないつう人は少ないと思うんだ。「息を
するのも快楽なーり♪」って幾多郎さんもいましたからねぇ。












 また、意志の自己否定つう意志そのものも矛盾なんす。
苦しみも楽しみも同じ世界。盲目的な生への意志(煩悩?)
はすなわち欲望や執着から放れた世界(涅槃?)であーる!
つまり、「煩悩 即 涅槃」の境地は日本の知恵なーり!












 近年の脳科学では自由意思自体にも疑義が呈されてます。
リベットの実験とか、Choice Blindness(盲目的選択)の
実験とか。ま、ショペンちゃんはフロイトによる無意識の
発見以前のしとですから、あんまし無理は言えんけどね。














 この世のあらゆる物事には理屈がふっつくのであーる。
なぜならそれが人間の認識の本源だからであーる!











テヤアアア~~~!!!