5月15日(日)日常性の裏には、ほんとにデッカイものが潜んでいるのだ


 こんにちは。久方の五月晴れ。薫風清々し。書を捨てて
街に出た。
















 何故我らは生きているのか?それは、
「命の不思議を生きてみるという約束」それを果たそうと。
私たちは、生活し、何かを作り、ビジネスして、研究し、そし
て音楽や絵画や小説や舞台を作る。















 その能書きに誘われて。ふらふらとやって来たのは「Arts
Action 3331」探求実験劇場(EPE)  at 末広町
立体的なサウンド・システムと詩と演奏と会話の多重空間。
演者が観客の間を動き回って時間の流れを共有する。不思議
な存在感。生命の不思議。共感。記憶の連鎖。

















 人の記憶はDRAM中のコピーではなく、もっと有機的に連動
し動き回り変化する「記憶の束」であり時空を横断する意識
である。覚える、忘れる、思い出す、記憶の運動が意識なら
自他を超えて自律的に相互作用しながら群れをつくり、仮想
現実空間を創り出す。音群れの中のパフォーマーがそれを再
現する。そして我々の記憶もまた、僅かに配置を変えるのだ。













 といふ不思議な体験をしたワンナワー。こころを構成する
大部分の無意識と、記憶の束の意識とを群れで繋ぐのが人間
社会ならば、我らの生命はあらゆる表現を通して結ばれてる
といへるのでせう。だってもうとっくに居なくなった過去の
小説家や音楽家、画家などの芸術家や英雄などが、わたしの
記憶に滲み込んでくるからね。これが意識の拡散。肉体は
滅んでも記憶の束は生きていると。











ドモ












追記:日常性と仮想空間

 もう大分前になりまふが、日常に飽きてあっちに逝こうと
おもたこともあったよ。それで視点を変えるべくボランティア
に参加したんだ。まづ、感覚を変えたり制限したりする。渋谷
二子玉川の雑踏を目隠ししたり耳栓をしたりして半日歩き
回る。もちろんペアでだけどね。車椅子に乗ったりもする。
するともうそれだけで、世界の見方がまったく変わってくる
んすね。今まで見たことも感じたこともない世界がそこには
拡がっていまふ。つうことで世界を狭めているのは、じびん
自身だっちゅうことに気がつきますただ。










タハハハ















ふとした感想:

 真にリアルに実感でけるのは自己意識だけなんだけど、
まるで神の視点で他人の心情を描写できるって、小説家の
凄いとこだよね。自己の中に移し変えてから書いてるんだ
よね。多分。でも、その他者が書いた人の心情を理解でき
る読者もまた凄いといへるでせう。これが社会的動物なれ
ども、独りでも生きてける所以ぢゃないのんかなぁ?



ドモ