1月5日(水)この世界の認識手段と認識範囲についてのこと

 こんにちは。まだまだ冬晴れ。もぞもぞとニブイ蠅を見た。





 昨日のすき焼きに饂飩を入れたら旨かった。好きスキ饂飩。












 夢の中では因果律は成立しない。つまり原因も結果もなか
とよ。いわゆるしっちゃかめっちゃか。突如の暗転。ですから、
因果関係つうのは脳が作ってるといへるでせう。それもかな
り無理して。1日中無理に無理を重ねてるから、ヒトは寝て
夢を見なくちゃいられんのですよお。しかし、夢の中でアニ
メのキャラが出てくるって、どんだけ〜〜〜!とかおもたが、
漏れだってアバターと一緒に空を飛んでる夢をみたんだっけ?
夜毎こころは何処へゆく。あの山越えて里越えて、夢の世界
へ逝くのだすう♪しかし夢にしか出てこないしとや夢でしか
出てこない場所ってあるよね?あれは一体誰で何処なんでし
ょ?不思議だ。極めて不思議だ!夢の中では辻褄が合ってる。















 それでは文字で表現できるフィクションと、夢とではどちら
が多くの世界を語れるのか?文字には絵も音もないが、ある
程度は記述式再現で以前それを経験したヒトの想像力に働き
かけて世界を語れる。しかし全くある事象の経験がないしと
には無理無駄ムラ。生来目の見えない人や音の聞こえない人
に、どのようにそれを伝えれるのでせうか。夢も経験に依存
するとこは似てますが、光や音やにほいなどは直接把握でけ
ますね。















 では、文字で記述でける範囲とコンピュータが処理でける
範囲は等しいのでしょうか?コンピュータは世界のあらゆる
事象(出来事や現象など)をビット(ディジタル?)で表現し
まふ。光や音はディジタルで近似できますね。にほいや味や
触覚もツールを使えば近似でけるかも。でもこころはどーだ
ろか?
















 これにはアラン・チューリングチューリング・テストと
言うのがありまふ。幕の向こう側に人間かコンピュータが
居て、こちら側の人と対話する。そして向こう側を人間か
コンピュータか区別でけなけりゃ、コンピュータがココロを
持ったといえるのでわ?っつうテスト。しかし、これは極め
て定性的でこちら側にいる人の主観に依存するテストだから
「科学的ぢゃねーぞ、こら(怒)!」という反論もありまふ。
しかしですねぇ、こりはココロっつうのが何かといふ定義が
極めて難しいのですから、逆にこれがココロの定義だと思え
ばエエんでねーかい、つう曖昧な納得性はあるよね。ドモ















 コンピュータは推論とか記憶つうとこは既にクリアしてる
から、あとは喜怒哀楽とか悩み苦しみ憎みという情感的な
ところかなあ?結局大脳新皮質の高次脳機能よりかはもっと
原初的で動物的なところが最も人間らしくてAIらしく無い
つうことでやんすけねえ。













 文字では言い尽くせない世界ってどんだけあるのでせうか?
これが我らが2次元世界とリアルの分かれ目。これは最早、科
学の範疇を放れて主観的な各自の感性の世界でしょうか。
1.リアル世界と文字世界は全く同値。
2.リアル世界は文字世界より20%くらい広い。
3・       〃       200%くらい広い。
4・       〃       2000%くらい広い。

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∞・リアル世界は文字世界より無限に広い。


 さあ、どの辺なんでしょうねぇ。∞にも色んなレベルがある
ようだしぃ。しかし感覚世界も蜜蜂からコウモリまでイロエロ
ありますから、この世界つうのはホントに捉えどころの無い
無限の拡がりをもったものである!とは朧げに感じれマッスル。
はて、諸君はどー思いマッスルかえ?















ドモ(ここまで読んでくれて”アンガト”が往々略されてまふ、悪しからず。)