7月3日(木) 確かにそこに在ると主観的には確信できるが、客観的に説明できないものとは

 薄曇り。23℃〜27℃と多少気温は下がったが、蒸し暑し。遠方湿気で靄る。




 当たり前を非日常にかんじる時:

 そもそも問題の立て方自体がその問題を制約しているのです。正しく問題が建てられれば、もうそれだけで問題は半分解かれたに等しい。即ち、ありふれた事実を、説明すべき事実と認識するゲシュタルト崩壊が、あらゆる発見のコロンブスの卵だすぅ。手を離せば石は地面に落ちると言ふ単なる事実を疑問に思いたる時は既に、万有引力に達するまでに五十歩百歩。このように普通を異常ととらまえる感性、これが研究者にとって最も必要な資質といへるだすぅ。さて、ここでひつもん一つ、諸君にとっての異常項とは何か?


 なぬ!わだす?わだすのアブノーマリーは、なぜわだすは今ここにこの様に在るのか?だすな。これを認識するわだすの意識!これ以上に不思議なものは御座いません。わだすとは何か?を自分が一番よく知っている。すかす、わだすとは何かを一端問われたならば、誰もこれに答えることはできません。主観が客体化されたれば、そりはすでに主観たり得ない。これが意識の研究の最大の壁でしょうな。ニューラル・コリレートで意識を神経細胞ネットワークやコンピュータ内に同型写像でければ、そこで意識を研究でけるとは、いかにもナイーブな考えか。いかに人工知能やネットワーク無意識に知性が宿ったように見えようとも、それが哲学的ゾンビ―ではないと如何なる客観も検証でけないんれすぅ。そこが正に主観研究の最大のバカの壁かと。タハハ (一休さん頓智問答より)