1月18日(月)何処までが先天的で、何処からが後天的かっつうのはむずかすいのだ

 早朝まで雪、のち雨に変わるが、夕方晴れ間でる。0℃〜6℃、86%。

 朝起きたら外界が真っ白でおどれーた。各地で交通機関が乱れてますぅ。冬の嵐?






 数覺とは、数学とは:

 これは極めて不思議なものなんすよ。先天的に数覺つうのはあるのか、はたまた後天的な経験・学習ででけるのか?ま、1,2,3くらいまでは瞬時に把握でけるつうから、この辺までは先天的なのかも知れない。でも4以上は、なんか工夫して把握するような希ガスる。手の指つかったり足の指使ったり、かだらの各所を使って数える方法を編み出したのだすぅ。だから両手の指の数で10進法に決まったのだとか。片手に指が4本しかなかったら、8進法になっててディジタル計数には便利だったかも。ぷっ

 すかすメダカに数覺はあるんだい!って人もいたな。これはメダカの群れる性質を利用して、例えば5匹の群れと六匹の群れを識別できるかを実験したもの。かなり大きな群れの違いも識別するようだす。でもこれは数ではなくって量(大きさ?)を認識するのかもしれないな。これとは違って、人間は数詞としての抽象的な数を把握できるんだい!数をもとにした学問は測量や会計といった実用的な要請から発達してきました。治水・測量・建築や食料の生産・備蓄・分配などを効率的に制御する手段だったのですぅ。それを体系化したのは生活は奴隷にやらせて議論ばっかりしていたギリシャ人。証明なんて手順を発明しましたのだ。でもこれは作図とか比例とかの実際の意味に即した実学。これら具体的な実体から遊離させたのがデカルトなどの数式化なんですねィ。意味から乖離しても、ただ数式に書ければそれは存在するんだという抽象化。それで負の数、実数(無限小数?)、虚数などが出てきましたのだ。さらに多次元空間とか抽象的な曲面、抽象的な構造物がいっぱい出てきました。

 対象が無制限に抽象化して、「ありえな〜い♪意味な〜い!想像もできな〜い?」なんてのが増えるにつけ、これに歯止めを掛けようって動きが顕著になりまひた。心の中にしかない新しい対象を外部化する手段@集合を発明したのです。宙に浮かんでいる対象を数式・論理でその性質を定義し、その性質を満たすxを全て集めたもの、として抽象物を実体化したんだすぅ。これで数学的対称は地に足が着いたと。すかす、これは余りにも便利で、なんでも実体化でけちゃうから危険も増しました。自由か秩序かの争いは数学界にもあったんですねぇ。で、ラッセルが「否定的自己言及の矛盾」を指摘して自由は敗北。節度を持った集合をツェルメロ、フレンケルが提議し、これがZFC公理系つうのになって、現代数学の基礎になりまひた。←今ここ。(マサーオ・モリータの数学史より)

 んで、今の数学体系は100近くの分野に細分化されてしまい、全体を押さえてる人が一人もいないんだって。これも現代数学の特徴の一つだすぅ。ハレハレ