4月2日(土)一時の興奮が去った後の、持続力が国民性を試す


 こんにちは。引き続きかすみ晴れ。暖か。夜半、北風強し。





 やはし我らは故なく、ポンとこの世に出てきたわけです
から、ゆえなく突然あっちへ逝っちゃうのも理の当然。
万物はホントに流転する。日々新たに、また日に新たなり。
日常性の裏に、デッカイのが隠れているのを日々感じませう。




















 不信の系譜:

 知った方がイイのか、または知らずにいた方がエエのか?
これは永遠の課題だす。末期がんの告知とか、治療法のない
遺伝病を本人に知らせるべきかどーかは誰しも迷うところ。



















 また、本人が効く気で飲んでるスパセボやアガリスクを医
学的見地から否定しても、患者の心の安寧にはなりません。
もちろん、ちゃんとした治療法がある時には斯様な治療は邪
道かもしれん。困った時の○頼み、は心弱い人間には必須の
営みなのれすよ。傍が口を挟む領域ではあーりません。


















 でわ、大敗を喫したときの実情を国民に知らせるべきか、
伏せるべきか。これは軍の指導者も迷うところでしょうね。
勿論ここで迷わないような指導者は、そもそも指導者の資格
がありませんが。前大戦中の指導者はミッドウエーやマリアナの
大敗を隠蔽しました。当然彼らは軍事の専門家れすから、空
母を全て失った艦隊は丸裸、まったく勝つ見込みがありません。
このときに国民に告知しておけばもっと早く終戦になってた
かもしれません。でも、ごく僅かな可能性として(仮に原爆
が無かりせば)、ベトナム戦のように泥沼の本土決戦に持ち
こんで、数千万人の同胞を犠牲にして、引き分けに持ち込む
のもあったかもしれません(実際、指導部はそー考えてた)。
でも、これも他国からの兵站支援があったばやいの話で、孤
立無援の竹槍では全く可能性もありまへん。
















 でわでわ、今回の原発パニックでは実情を早く知らせた方
が良かったのか悪かったのか?官房長官のエダってる姿を見
れば元もとの災害の大きさが分るのですから、このばやいは
早めに現状を知らせた方が良かったのでせう。第一原発全体
がダッチロール状態だったのは確かですから。人力で手探り
でここまで持たせたのは現場の使命感あふれ死力を尽くした
活動によるものです。現場から遠く離れた評論家が、御託を
述べて結果論的に非難するのは全く当たらないばかりか、現
場の邪魔をするだけです。願わくば中央政府官僚らは彼らに
故じつけて、自らの保身を図らないように。決して彼らの邪
魔をせず、サポートに徹するように祈ります。



















 ちなみに、「放射線障害=紫外線の日焼け」アナロジー
鑑みれば現場に長期間いるのは過酷。福島フィフティぢゃ
無くてファイブサウザンドを募り交代勤務をするべきぢゃ
なかろーか?ゴミ集めや連絡斥候など訓練を要しない単純な
作業はたくさんあるはず。金の無いボランティヤの出場所を
作って貰えないかなももし。わだすは直ちに応募するぞな!
かかる国家の危急になんぞ躊躇すべきあたわざる也。




















 あと、学者らはクールに事実だけを述べて、少しおつむの
働く庶民から要らぬ邪推を招かぬように、何らかの価値観か
らの偏りを排してもらいたい。価値中立といふ学問の本旨を
忘れないことが、これからの信頼を繋ぐのではないですか。




















 とわ申せ、ここまで不信が広がってしまったら直ちに回復
するのは難しいれすから、世代交代を待つしかないのかもね。
放射能汚染と同様に何年もかかる大作業ですから、気を抜か
ぬ持続力が何よりも大切だと思うのです。(忘れ易さが日本
人の長所でもあり短所でもあるからです。)




















 宗教(信じるが元)と科学(不信@疑うが元)の相克を、
コンプロマイズでけるのか?が極端に揺れやすい文化の宿命であ
ろうかな?















ジャ~ン