2月24日(木)たまには人類の未来なんてデッカイことを考えよう

 こんにちは。概ね曇り。ときおり風に乗って小雨ぱらぱら。
気温だいぶゆるむ(15℃?)。

















 つらつら考えるに、人類の進化の方向は集団性ぢゃないかな?
昔のヨーロッパの事例だと、赤ちゃんはコミュニケーションの無い状態
だと3歳前に亡くなってしまうそーだ。何らかの脳内自滅装置
が作動したと推測でけまふ。人間の能力の大部分は生まれた後
の学習や練習で身に付くものです。だからヒトの赤ちゃんほど
ひ弱で無防備なものはありまへん。でも、その真っ白な素材が
その後の無限な成長を保証しているのですね。幾らでも成長で
きる可能性そのものが人類の本質としたら、オープンエンドでエエ
ですねぇ。文化や社会や都市や芸術などなども人類の外延した
る実体だといえるでしょうか?そーだとしたら個体は死むけど、
人間に死は無いと言えるデス。生命の広がりが肉体から脱した
社会進化の瞬間、それが人類進化の次のステップならエエです
ねぇ。

















 つまり、それ(人類の進化)は脳の再構成に懸かっている訳
です。社会脳、コミュ脳。それ(繋がる脳)がでけなければ、
人類は個別脳の過剰進化でホロンぶでせう。














タハハハ

















追記:晴朗拍子


生物の本質は、生まれ老い病み死むことれすぅ。いわゆる、
生老病死」ですね。つまりこれは生物として避けられない
運命。健康診断で一つも異常がないというのは生物として
異常なのれすよ。我らはもっと大らかに全てを受け入れて、
だましだまし生きるべきでせう。(玉虫の指針)
















追記2:現象学的還元


全ての思い込みや前提を取り去って、事物が現れるままを
受け取る態度。つうとチンプンカンプンで何のことか分からない
でしょ??昨日1−2−3に出てた人、坪倉優介氏の体験
がまさにこの還元。事故で記憶を全て失って日常の動作か
ら両親まで忘れてしまう。ご飯は単なる光っている白い粒
つぶ。何の意味づけもされないなまの存在物だらけで、戸惑
う彼。それを3歳児を育てるようなお母さんの愛情で日常
生活に復帰した奇跡の物語り。全ての記憶が無くなると、
前提や思い込みも無くなって在るがままに物をみれるが、
それは決してしやわせな体験ではありまへん。我らは自明
や日常の殻に囲まれてるからしやわせに生きてられんです。
日常ロボットな俺たちヒト族にカンパ〜イ♪