2月20日(日)芸術はそれぞれの価値観の投影であるから、幾らでも値は付くぞい


 こんにちは。寒曇り。夕方から寒雨しとしと。
虫も雑草の種も少ないこの時期に、雀はチュンチュン楽しそう。
先を思い患わなけりゃ生きることに集中でけるのかな?
















 アートとクラフトの違いは何か?
極端にいへばアートは非合法でクラフトは合法(無害)なん
だって(中国人)。「芸術はバクハツだあああ!」アートは
自由であーる(アート マハト フライ)。だから何でもアリ
なのれす。ガラクタ集めても、ペンキぶちまけても、小石を
山のように積んでもね。「驚き」をもたらすもの、それが
アート。「驚き」から始まるものそれが哲学。そもそもの
本質を感性で追求するか、ロゴス(言葉、理性)で追求する
かの違いだけ。















 でもね、「驚き」つうのには直ぐに慣れてしまうから、絶え
ず新しいものに挑戦せなならん自転車操業。止ったら負けだ!
みたいな。ある種の狂気にも似た熱情。しかし驚きは個人に
依存しまふから、或る人にとってのアートはある人にとっては
我楽他。それにその人の能動的なイマジネーションの投射にも
依存しますから、これまた個別的。(節穴だって雲だって壁の
シミだって想像力豊かならアートになる罠。プ)しかしある時
代、或る世代に普遍的な感性つうのがあることも確かだ。こり
は否定でけない。

















 故に絵画・彫刻・音楽で表現でけるものだけではなく、あら
ゆる素材が芸術になりうるのですね。人工物にしろ自然物にし
ろ。数式により描かれるフラクタル半導体のパターンとか、
蜘蛛の巣や波紋・風紋など。伝統工芸から最先端テクノロジー
まで。都会の群集から老婆の手の皺まで。その「驚き」と「
新しさ」で、如何に感性を説得でけるかの肉弾戦。「芸術は
闘いじゃあああ!」つう意味ではポリティクスにも通じるなにか。
















 「ペンは剣より強し!」という意味では「アートはペンよか
つおいど!」ともいへるでせう。なぜなら社会への鋭い刃を「
美」で包んで、ジンワリと浸透させることがでけますから。故
に強権国家ではアートを極端に神経をピリピリさせて、警戒し
まふ。ペンによる批評や論断は、ともすると反発を招きやすく
、また短期的な効果しか齎しません。




















 「驚き」、「新規」がアートの宿命なら、流行は避けれまへ
んな。人の感性は同じ刺戟にスグに慣れてしまいまふから。匂
いとおんなじれす。無限に(夢幻に)続くサーキュレーション
アートには終わりがなーい♪近年、科学と芸術、医学と芸術、
社会と芸術、環境と芸術、自然と芸術、エコと芸術、ゴミと
芸術など、アートを中心に閉塞を打開しようとの動き。こりも
偏に、アートが世の実相の本質をあばく力によるもの。論理は
しょせん世の表層を流れるのみ。時代によって激変します。
















 ゆえに何がアートか?なんて言葉で考えるよりか、今ここで
直ちに何をやるか!狂気と爆発と行動!これのみですよ。そし
て、もっとも大切な要素は見る人の感性ひとつに掛かっている
という受容の能動性です。いかにその時代の共感を獲得するか
に依存しまふ。時代の感性が古ければゴッホピカソも受け入
れまへん。














 ひょっとして、諸君のすぐ隣にも未来のゴッホがもがいて
いるかもよ。若者よ、感性を澄ませてオープンに我楽多や恵呂
を受け入れてみようでわないかいな!!



















ドドーン パ