11月19日(土)身体性とは。

 天高き筋雲の晴れ、夕方少し雲出る。8.9℃~18.5℃、40%。3100歩。

 今日のCOVID状況:都の新規感染者数は9457人で前週より18%の増加、重症者は49人、死亡7人でした。

 

 アートとは:

 アート(芸術?)は作り手が全てかと言うとそーでもない。受け手(鑑賞者?)にも依存するんですね。ま、その割合は5:5、1:9、9:1、などイロエロと考えられますが。現代では10:0と言う人はほとんどいないと思いますが。

 受け手のレベルがある水準に達していないと、どんないいアートでも猫に小判、馬耳東風です。いい例が印象派の初期は美術評論家(受け手?)の頭が古すぎて、新しいアートについて行けずに、今では巨匠と言われている画家たちの絵を「まるで幼児の絵のようだ」と貶してました。そして今では歴史の審判を受けていると。

 キュービズムの初期にも同じような現象が起きていて、ピカソなどもクソみその時期があったとか?一方、先の割合が0:10なんてのもあって、壁のシミを眺めたり路傍の石を見て、感慨に浸る受け手(鑑賞者?)もいたりしまふ。

 一方、作る人とそれを評価する人との間には、でっかい壁か深ーい谷があります。勿論作る方が千倍むずかすいのだすぅ。演劇を評論する人と実際に演じる人、演奏家と聴衆、絵を描く人と鑑賞者、小説は読めるけど書けない、などなどあらゆるアートに遍在する非対称性ですね。

 知っている・理解しているというのと、実行できるというのはまったくちげーのだす。畳の上の水練と同じで、考えるだけではかだらが付いて行かないんだすぅ。あらゆるスポーツ、あらゆる演奏、あらゆる仕事は身体性を伴わなければ、ただの頭でっかちの評論家です。つうことで、「書を捨てよ街に出よう(寺山修司)」ではござらんか♪