1月11日(火)鏡開きに世界の平和を思う

 こんにちは。久しぶりに雲のとても多い晴れ。寒さは依然
として厳しいです。列島各地でこの冬一番の冷え込みとか。
しかし気温の変化率が単純減少なら、毎日がこの冬一番の冷
え込みつうのもまた真実であーる。


’11年1月11日という5連のゾロ目。なんかの日に当たる
かな?とおもたが鏡開きだけだった。急いで汁粉を作る。次の
5連は’11年11月1日で、6連が’11年11月11日。
ワンワン、ワンワン、ワンワン♪わんこの記念日にするよろし。

















 人の言動について、たまたま何の気なしにそれをしてしま
ったと言う事は稀でせう。つまり何らかの意図がそこにはある
と。口では何とでもいへますからね。ことばを簡単に受け入れ
る前に、常にその意図するところを慮ると良いでせう。しかし
その大半が下衆の勘繰りに陥っても私は責任を負いかねます。
そこからはセンスですから。(玉虫の性悪説世渡りより)















 遠近法とは距離だけぢゃありまへんね。時間の遠近法も
ありまふ。数時間前の出来事は細々(こまごま)と憶えて
いるのに、子供の頃のことは大きなイヴェントしか思い出せませ
ん。現代の芸術家、思想家はこまごまと大勢おりますが、時
代を古ほどに篩にかけられて、古代の偉人はほんの僅かしか
記録に残りません。今ここ現代にも過去の偉人と同じ素質を
もったしとは沢山いると思うのですが、だーれも気がつきま
へん。ノイジーな現代。時代が人を作り、また人が時代を作
る相即関係なーり!













 20世紀は戦争の世紀といへるでせう。科学技術が最悪の
応用を見せつけた理性への不信。ヒューマニズムへの疑いも
また沸き起こりました。ヒトラースターリン、トージョー、
トルーマン、マオズートンは非人間だったのでせうか?いや
少なくとも家庭ではよき夫であり良き父であったろうと。又
原爆作った人々も悪魔ではありませんでした。わたしら自身
の内なる非人道性。正義の不条理と美の醜悪さ。












 1543年日本に鉄砲が伝わってから、瞬く間にその製造
技術は日本全土に拡がり戦国時代を終焉させました。しかし
天下が治まると直ちにその製造、改良を封印したるは日本の
技術工芸に対する慎みであろうか。伝統工芸や建築は精緻を
極めてたんすから、やろうと思えばいくらでも改良でけたのに
ね。一方、西欧は歯止め無く兵器の開発改良に勤しみ、とど
のつまりは大量破壊兵器にまで辿りついたのれーす。はて、
どちらの方向が良かったのれせうか?もう人類、いや地球自
体が性悪説対応ぢゃ生き残れないとこまで来ちゃってるのに
ね。アメリカの銃器社会を見てると、自衛の為の銃砲が悪い
んぢゃなくて、それを使うしとが悪いんだい!と言う理路は
定期的に発生するガイキチによって無にされる。いわんや
核兵器をや。信条、熱情、正義感によって突き動かされる
真摯なガイキチもこの世界にはまた少なしとせず。
        (ツーソン・シューティングに寄せる感慨)