9月21日(火)なんかもう、生きてるのが嫌になっちゃうときってあるよね。

(極稀に、時々、良くある、の違いだけぢゃん。プッ)




 こんいちは。薄晴れ。湿気つおし。スカイツリーも霞む空。
ま、最後の真夏と思えば何やら名残惜しい希ガス。月も朧に
東山。明日は満月。ハレルヤ?












 今日は中原で飲む。大社長は意気軒昂。中専務と少事業部長
二人。小賢しい部長とわたし。雑談は3人くらいがエエですね。
6人になると二つに分かれて話が飛んでアカンわ。とわいえ、
現状に対する認識は鋭いものがあったと言っておくべきか??
しかし、故無き自信を持って、全てのハロー効果を取り除いて、
しかも結果論的に眺めれば、アホばっかっつうことはいへるで
せうね。現代の如何なる阿呆を以ってしても、過去の偉人を眺
むれば、みんな抜けたところが見受けれるっつう面白さ!それ
でわ、長生きが勝ちなのか?イエヤスを見れば、そーとも言え
る、秋の夕暮れ。タハッ















 だいたいですねぇ、約二千年前の春秋仙谷時代にはあらゆる
権謀術数の諸子百家が出現し、この世の浅ましき考えなど全て
出尽くしているのですね。これが中国の強み。歴史の重み!
経験していることは、それだけで知恵になるの道理。新しく
考えなくてもイイから文献学、故事来歴の論考だけで生きて
行けまする。だから、強みは弱みであり、また一方弱みは強み
に変じるのれすから、日本のガラパゴス化など一向に心配する
こたーねえんですぅ。これが所謂、ゆえなき楽観主義と称する
ものでやんすよ。でも、政治家や事業家は結果を出さなくっち
や遺憾でせうね。いやいや、あらゆる人々は結果をだしてナンボ
という厳しい生存競争の巷で生きてるのですが、この現実を
意識的に阻却しているのが現今の人道主義的な社会なのかな?
















 例えば、鎌倉時代からつい先ごろの敗戦までは、日本社会
の骨格は「家」の存続にありました。「家」を滅ぼすのは子孫
の大罪。如何にしても「家」を存続せざるべけんや!(含、
天皇家)。しかして「家」が敗戦によってホロン部今は、民主
主義と市場経済という絶対価値社会が構築されましたが、後
百年も経たないうちにこれらの価値体系が歴史の藻屑となりし
とき、我らは衆愚の民と嘲笑われるかも知れんぞな、もし?
少なくとも歴史を学ぶ民ならば、最低限かような想像力はあら
ま欲しきものなり。どやどや?文句あっか!バーロー















 死すべき認識を持った我々は、その代償に想像力を付与され
たのれすから、それを使わずんば、一方的に不利な状況に追い
込まれるであろうよ。タハタハハハハ








ハッハハハ