8月28日(日)認識論か存在論か、はたまた意味論か?夢の世界

 こんにちは。久しぶりの晴れ。29℃。風があると爽やか。
スカイツリーもすっきり見えます。すかいつりーで空気の
透明度や雲の高さが分かって便利だ。






 最近、夢をあんまし見なくなったなぁ。つうか憶えていな
いのかな?昔は良く明晰夢を見たから寝るのが楽しみだった
のに。波乱万丈の夢を毎晩見てたら、人生飽きないとおもう。
でも、無意識のどこかでこれは夢なんだと思ってるな。現実と
夢との差は何か?それは体性感覚かもね。















 アプリオリ(先天性)と必然性、アポステリオリ(後天的)
と偶然性は同義なのか?経験によりて知りうることは勿論、
後天的であり、偶然に左右される。だからヒュームの言うよ
うに法則や原理の根拠にはなり得ない。確率的な事象なら、
次には手から離れた石が上に登ることもありうるからだ。で
も、それは殆ど起こりえないというのは統計的な確信であっ
て、原理を保証するものではありえない。人が神を必要とす
る所以であーる。ども。















 個人的な自由意思と集団的な必然とか、ミクロな確率論
とマクロな因果律とか、必然な過去と偶然な未来とか、対象
や規模によって必然と偶然は織り成す糸のように変転してい
るのれす。数覚にしろ因果律にしろ倫理感覚にしろ、どこま
でが生得的であり、どこからが学習・経験であるか?と言う
ことが遺伝子の研究により次第に顕かになりつつありまふ。
でも、そりはお猿や鼠公レベルの話し。人間が動物であり、
彼らと連続性を持った存在ならばそれは意味がある。しかし
人間が飛び離れて精神的で神がインテリジェント・デザインで人間を
作ったのだとすれば、そりは言えない。人体実験ができない
環境下では、一卵性双生児の研究でかろうじてその差異(
遺伝か環境か)が分かる程度であーる。つうことは科学的な
結論の出ない領域で、文学作品中で可能性を探るしかなかん
べえよ。ぷ
















 ぼくは脳の可塑性(粘土みたいに作りかえれる)から見て、
人間精神の大半は後天的だと思う訳です。歴史や文化、自然
風土、社会や教育などの環境が人を作ると。これは時折発生
するガイキチ(天才)以外はこの桎梏を逃れ出でることあた
わず。ま、社会の変革はこのガイキチ(突然変異)に期待す
るしかありまへんな。ぷぷぷっぷぷ



















 ああ〜っ!!!ウサイン・ボルトがフライングしてもうたあ!
大体陸上のスターターは性悪説に立ってスタートをじらせて
いるからいけねえんだよ(怒)!水泳みたいに性善説に立って
、(ぷっぷっ)プ〜ン♪で一斉にスタートすればスッキリして
イイじゅあんかい。とか八つ当たりしてみる。















ザンネン