12月12日(日)葉隠聞書に関する異聞


 こんにちは。雲の多い小秋日和。今日は林檎のわけありを
沢山買ってきました。これはジュースにしても旨い。最近、
家では酒を止めてるから、果物やヨーグルトを良く食べます。
なんか好みが変るんすよ。







 葉隠聞書(はがくれききがき) 江戸前期の武士道論書。11巻。享保元年(1716)成立。鍋島藩士山本常朝の談話を同藩士田代陣基が筆録したもの。「武士道と云は、死ぬ事と見付たり」といった思想を基軸に尚武思想を説き、肥前藩を中心とする逸事、逸聞などを伝える。「葉隠」「葉隠論語」「鍋島論語」とも。


とか引用したのも、ハックルくんの話を急に思い出したから。
「死ぬ事と見つけたり」つうのは主家の為に命を投げ出す事
よりも、死んだ気になって捉われや拘りを捨て、正しい判断
ができるようにする修行なんだって。むしろ良く生きるには
どーするかっつう生き方に重点があるらしいんだ。






それで毎朝寝床の中で本当に死んだ自分をリアルに思念でけ
る達人を死人(しびと)と呼称して、その人の判断を尊重す
るんだって。何にも捉われないから、冷静で合理的な判断が
でけるんだってさ。メメント・モリみたいなもんかなぁ?
でも、そんなに立派なしとが多かったらさぞや鍋島藩は天下
に名を成す立派な事績が多いんだろうなあ?でもあんまし
聞こえてこないなあ。な〜んて言うと武士道オタクに嫌われ
るかもね。帝国陸軍の将校にも葉隠れオタクが多かったって
言うから、たぶん読み間違えて生き方よりも死ぬ方に重点を
置いちゃったんだろうな。彼らが冷静で合理的な判断をした
とはとても思えないもんね。何事も、批評精神を忘れて信者
になっちゃうと本来の趣旨からも逸脱してしまうのかな?
次回せねば、あ、いや自壊、いや自戒の方だった。





しかし、我が身の経験からしても死にそうな状況を脱すると、
世界がとても美しく意味ありげに見えるのはガチでやんすよ。













 事実ではありまふが、なかなか実感できない事の一つに、
我らは必ずしむという事実がありまふ。50年なんて「あっ」と
いふまに経っちゃうからね。今ここでこの世の中で騒いで
いる人々も100年も経ったら全員いなくなっちゃうと思えば、
肩が軽くなるつうか、もう少しこの世界を楽しめるような
希ガス。まえにビーテレで見たホスピスの看護婦さん。患者
さんが「しみたくね〜よ〜!」ってもがいてる時に、「わた
すも直ぐに逝くからね。安心して休みなさい。」と言うと
ホントに安心して逝くんだって。なんか分るような気もする
師走の休日。なんで突然「葉隠れ」なんか思い出したんだろ?
これも偏にハックルくんの所為だな。あの顔には葉隠れ武士
の風貌、覚悟みたいなものが確かにあったな。うんうん。







ドモドモ