10月29日(金)真剣に向き合うって、言葉ぢゃねーよ

 こんにちは。終日薄曇りだが空気は明澄。最近とみに
東京ツカイスリーに目が行く。早くテッペンに昇ってみてえ
なあ!








 知ると覚(わか)るのとは大違い。知ってる心算でも実
は知らないと言うのは、身体や心が受け入れていないから。
だから楽器も語学もスポーツも日々の練習や修練が必要な
のれすね。演奏家は毎日8時間は練習するってえから語学も
それくらいやればよく身につくのかもね。いわんやパソコン
をや。










たちゅるくんのこんな呟き。

コミュニケーションというのはつきつめると、自分を閉じ込めている「ドクサ(玉虫注:偏見?思い込み?)の檻」から自分を解放することです。そのために必要な条件は何でしょう。それは「外殻を破って、肌が露出しても、傷つけられる心配がないこと」です。

だから子どもたちにコミュニケーションの力をつけさせたいと思ったら、いちばんたいせつな条件は「あなたがどれほど無防備になっても、誰もあなたを傷つけない」という約束を誠実に履行することです。つまりコミュニケーション能力を開花させる最良の環境とは「温室と、注意深い聴き手」なのです。 (内田樹Twitterより)


これは先日のはっくるくんの言葉

 若者と真剣に向き合い、多少強制が入ってもダメなものはダメとはっきり言って自己中心的になっている若者の心を、人が喜ぶ為という外向きに解放し社会的なスキルを身に付けさせ、もってズルイ人から利用されないようにしようよ。(玉虫の独善的解釈)


 と多少違うニュアンスがあります。が、真剣に向き合お
うよ!というところは同じかもね。




 局面によって、どちらも必要だと感じる(宇宙空間でどつき
合ってる)玉虫でした。









追記:先日、世界共通語の例として「数学」を挙げましたが、
人類に共通な根源にさかのぼれば、「芸術(音楽、絵画、彫刻、
映画、演劇などなど)」も世界共通語でしたね。お詫びして
追加致しますぅ。人を思いやる心も人を激しく憎む心も等しく
共通なのなら、なぜそうなるのかに思いを致し、まず自ら変ろ
うよ!とか思いたいですぅ。政治・社会・経済・生活・学術・
網論・環境・などなど生死を掛けるようなことなど滅多にねえ
よとおもたが、もし仮に万が一「お前の命と引き換えに核廃絶
を実現させよう!」とかエアルケーニヒが申したら、わたしはこの小
さな玉虫の魂を捧げるつもりはありそーだ。