11月16日(水)わたしも実にシンプルに生きてみたいもんだ


 こんにちは。晴れ。午後から雲少し出る。15℃前後。北寄り
の風ときに強し。ツカイスリーが近くに見えるから空気が乾い
ているのかもね。













 「不安」と「恐れ」の違いは何か?不安が高じて強度が増す
と恐れになるのでわなーい。対象が明確になったのが恐怖で、
曖昧なのが不安であーる。ゆえに不安の対象を明確化し、それ
を恐れと為した後で、個別撃破すればイイのだ。(不安の時代
を生きる玉虫より)
















 ニーチェの倫理は高貴な倫理。主人(貴族)の倫理と使用人
(奴隷)の倫理を対峙させ、「気高いか卑しいか」の基準を「
役に立つか立たないか」の基準に優先させた。つう意味では
現代は奴隷の倫理が優勢だよね。全てを有益か無益か、有害か
無害かによって区分する効率最優先社会。でもって奴隷の倫理
は無理して本心を隠すから複雑になりがちなのれすよ。
















 例えば人生の過酷さや不条理に対するに呪詛をもってす。
強者にたいするルサンチマンを糊塗して正論と化す。弱さを
正当化するに同情、卑下、憐憫を以ってす。例えば、いきなり
殴られたら殴り返す代わりに、寛容をもってす。弱くて殴り
かえせないのを→殴り返さない→殴り返すべきではない、に
変容させる。斯様に何事につけ持ってまわりシンプルさが無
いのであーる。「あの人はイイ人です」は自分にとって都合
の良い人、自己主張のない人、何も言わない人の別称(蔑称)
であーる。これらの心理的屈折変換の例を挙げれば:
・憎悪者に対する屈従→従順
・報復できない無力→善良さ
・びくついた卑劣さ→謙虚
・復讐できない→寛容
となーる。なんともいじましいでは御座らんかい。ぷ







 してニーチェが目指す高貴なシンプルさとわ「武士は食わ
ねど高楊枝」のやせ我慢にも通じるのですよ。ぷ














 だいぶ以前の我がエントリから引用してみよう:

 「大晦日あはぬ算用」
 http://d.hatena.ne.jp/tamamusi/20061030
 http://d.hatena.ne.jp/tamamusi/20061031
 http://d.hatena.ne.jp/tamamusi/20061103

http://song-is-very-pretty.at.webry.info/200612/article_8.html




 維新もTppも斯かる心情を根底から覆すものであろうかの。












ズッキ~~~ン