10月27日(水)人間だって人の間の関係性だい


 こんにちは。雲のある晴れ。気温低く空気澄明。富士山
や500mに迫った東京ツカイスリーもすぐ近くに見える。
今日は12月上旬の気候とか。明日は更に下がるかも。











 人間は自己を合理化してストレスに備えますから、どーし
ても言い訳しがちですぅ。ですから他責化の欲求は常にあり、
しかもこれがクセになり易いですぅ。けどね、他人の他責化
は良く認識でけるのに、自分が他責化してるのには全く気付
きまへんがなもし。諸君も注意するように。あっと、エラソ。
(インスパイアド バイ タチュル教授)














 効率とリスクは比例するかもね。例えば独裁の方が議会
制民主主義よりか決定は早いし実行も効率的です。しかし間
違えた時の災厄は独裁の方がグーンとでかいです。ですから、
みんなの意見を聞いて、ぐだぐだと決められないリーダーの
方が変動の時代にはエエのかもね。それともズンズン独走し
ますかぇ?丁半博打。イイことはワルク、ワルイことはエエ、
ゆうのは普遍的な経験論でもありまふ。だから悪口を聞いて
れば、ある程度その人の志向が分かるのさ。プ












 ネットというと最近はインターネットのことだけど、普通
はネットワーク理論で扱うような広い意味でのネットを指し
ます。漢字で書くと「網(もう)」って言うのかな?都市
交通網や電力網、信息網、電子回路網、微細なとこでは
細胞内の三千ものタンパク質酵素のカスケードを記した
パスウエイとか脳神経回路など。社会の中での人々の繋がり
を示した社会性ネットワークもイロエロとあります。学問も
個々のエレメントを分析的に調べることから、要素間の関係
性の研究(ネットワーク)に重心を移しつつありまふ。
社会性ではスモールワールドネットワーク(世間は狭いね網)と公共
性の関係なんかが分析されてましたね。そうそう論文の
被引用関係や、いろんな言語の文法構造ツリーなんかも
ネットです。







 食物連鎖とかの生態系も水陸空といった環境と生物・
微生物が織り成す複雑系ネットワークれすよ。あらゆるもの
はネットで記述されます。気象や気候、星座や星雲も
星占いもネットれす。いやはや今やネットの時代と言う
のは、まさにそのトーリ!ふむ、蜘蛛の巣もネットかな?
「天網恢々(かいかい)疎にして漏らさず。」いやしくも法律
を含めたあらゆる学を志す者ならばネットを修めずしてなん
とするぅ。ドモ















 追記:おおーっと、エリカ様いやEreni様のエントリ見てた
ら、こんなん出てましたぁ。子供は、その環境の鏡でしかない

我々は牽制し合いながらお互いを縛り、潜在的な怖れで社会を形作っている。その力を子供は、進むべき道しるべと見て絡めとられている。おそらく少し昔、それはただの道しるべで、力なんかではなかったのではないか。

 わだすは絶対とか相対とかに心底弱いのれすぅ。BB氏の
「相対化の地獄」なんかは既にトラウマ・レベルです。「絶対
的な正解なんて無いの!ものごとは人それぞれで、相対的な
良し悪しなんよ。」と言うとお子チャマはギロン放棄するそーだ。
これは相対化の権化、何事も玉虫色なモレ様がズーっと悩んで
きたとこなんすよね。まさに核心。ホゲホゲ







 立脚点、生活そのもの(とその背後にあるもの)、拠って立つ
「場所」、を無視することが「自由」なのか?「親の過保護→
子供の弱さ」はハックルさんも言及してたな。でも、ハックル
さんも言ってたような基本的な社会的訓練は大切かも試練し、
女子供に(潜在的な)場所のコントロールをすることもあかん
ような気もする。どないせいっちゅんぢゃあああ!








 わだすはあくまで絶対化は絶対反対の立場を取らざるを得ま
へんな。なぜならわたしは玉虫(色)ですから。絶対どーしが仮に
ギロンでけたって、そりは単なる言いっぱなし。何しろ絶対なん
だからコンプロマイズ(歩み寄り)の余地はあーりません。大切にし
たいもの、斯くありたいと思うこと、守りたいものは各人違う
けど、あくまで相対だからその中での度合いを譲り合うことで
主張も議論もできると思うわけです。絶対主義ほど突破力は
ねえですが。でも、こりは未だ考え中にて結論ではありまへん。








 またいつかコロっと変って絶対に譲れないものに命を懸ける
かも。なにしろ人間だからね。人間の柵から外れるときはしむと
きれす。そこで仏になって往生すると。人間なおもて往生す、
いわんや玉虫をや!プ