9月25日(土) 江戸期から発したお笑いの伝統など


 こんにちは。朝方驟雨。風強し。枯れ木の枝散乱す。一転
午後から快晴なり。早稲田の杜に紺碧の空。赤とんぼ乱舞す。
奥多摩から多摩川神田川のコリドールを経由して戻ってきたの
かな?かなかな??













 もちろん人間にも良いとこはありますよ。悪いとこの方が
多いとは思うけれども。その中に好奇心がつおいと言うのが
あります。これは自然界ではリスキーではありますが、新し
い世界を切り開くには重要です。短期間にこれだけ地球上に
拡散したのは、偏に好奇心のナセル業でせう。反面、好奇心
がつおいだけに、マンネリ化するとすぐに飽きるとこがある。















 日本の司法は江戸期の伝統なんてたわ言をほざいたが、実
は江戸期に発祥したものは多いのです。中世と近世の分かれ
目は関ヶ原1600年ですからね。農工商の生産性が格段に上が
って、庶民に財力がつき社会に余裕が生まれたのが江戸期な
んす。例えば食文化のファストフード、寿司、天麩羅、蕎麦、
鰻などの店舗や屋台はこの時期のもの。それ以前は食材に余
祐が無いから予約制の料亭しかなかったです。また盛り場が
できて芝居、寄席、見世物などの大衆芸能が流行ったのも元
禄以降でやんすよ。ついでに無宿人(やくざ)が府内でも田
舎でも力を付けてきたのがこの時期でい!雅楽や能、狂言
ど特権階級向け以外に落語、講談、漫才が始まったのも江戸
期から。だから、司法の文化もこの時期から始まったと邪推
しても強(あなが)ち無理筋ではないのれすぅ。














 しかし、「お笑い」つうのはけっこうおつむを使いますか
ら、悲劇のような感性ものと違って長続きしませんね。それ
は冒頭で述べたように、人間はすぐに「飽きる」からです。
時の世相や文化にも大きく影響されるし。だから現代でも漫
才師が10年トップを張るのは極めてむずかすいれすね。タケ
シやサンマもピークは3,4年で司会業に転向したりして。プ
ギャグもすぐに飽きられちゃうし、これは服飾の流行と同じ
でやんすよ。絶えず目先を変えて自転車操業インパクトを
維持する必要があります。これも、人間の宿亜。














 ときに歴史や世界を眺むれば、「お笑い」の中でも普遍
的なのはエロ系統でしょうね。これは人類共通。せんだ・
みつおの「おーまんたせしました!」は「ナハッ、ナハッ」
ほど受けなかったけどね。あ、もともともう憶えてる人は
いないのか?逆に社会風刺などはその国その時代にしか通用
しない笑いが多いかも。(チャップリンが今でもおもすろい
のは、彼が稀有の天才だからであって、一般化できません。)
そういう視点からは落語も現代に合わせて新作がどんどん出
てきてほすいものです。どもども。














 しかし、コンテンツっつうのもパクってなんぼかもね。
これはまた書くかも。と言いつつ、今イイこと思い出した。
「笑いは健康の元、押せば命の泉湧く!わっはっはっは♪」
という健康神話が実は最近実証されたとか。任意に選んだ
被験者に落語を聞かせて、大笑いさせた後、唾液中の免役
成分を計測したら落語を聞かせなかった一群よりも断トツ
に免疫力が強化されていたとか。(嘘かも知れんから信じる
前にググった方がよかとよ。でも、もれは真治とる。)













 笑いが何故人類に齎されたのか?しかして、それが何故
健康にイイのかの機序(メカニズム)は未だ解明されとりもさ
んが、「信じる者は、巣食われるのだあああああ!」



















追記:弁当考



「賢い人間が言ったことを愚鈍な人間が聞くとき、正確であっ
たためしがない。なぜなら愚鈍な人間は、自分が聞いたことを
自分が理解できる内容に無意識に変換してしまうためである。」
と考えている節が多々見受けられる。(邪推かも?)




 上記は自由恋愛者(女好き?)のラッセル卿のお言葉であり
ますが、また彼は斯様なこと↓もほざいてマスカラ、もし彼が
偉い学者であるのなら、必ずしも彼の言うことを真に受ける必
要はないのかもしれまへんね。どもども、どもども。おまけに
どもども。



「偉い学者の言う事を聞くと、この世は悲惨である。しかし、
庭師の言う事を聞いていると全くその逆である。」


これは普通に菜園をやっていれば良く身に着くことではある。
都会者は自然から離れて、ラップに包まれた食材をスーパー
で調達しているから分らないだけであーる。野菜、魚、肉に
は自然との闘いと厳しい掟があるんだよ。