6月15日(火)川崎からはやぶさの如くに帰還したりイオンエンジン


 こんにちは。薄曇り。夜半霧雨。湿度高し。かもすどー!




 川崎にて。ここは海側が結構昔の佇まいあり。歓楽の巷。
陸側(山の手?)はオフィス街で少し上品。漏れ?どっちか
てえと海側に馴染みかも。ハレヒレホレ














 小心(シャオシン)というのは いわゆる be careful 日本
の小心者とはちと意味合いがちげーのれすね。でも一脈通じ
る所もあります。政治的な意味合いにおいて、相手を貶す
場合に使われます、「谷垣は小心だから軽く見られるのだ」
とか「小沢は小心者だから裏権力を握って手放さないのだ」
とか「菅は小心者だから、すぐにイラつくのだ」とか「鳩山
は小心だから綺麗ごとばっかり言うのだ」とか。何にでも
くっつくでしょ? でもね、大胆(bold)にデタラメやられ
たらその災厄は大胆さに比例するのです。政治家は小心な
くらいが丁度エエと思うのですがね。どーですじゃろ?















 「家貧しうして孝子出づる。」つうのは人間世界の普遍的
な真理のような希ガス。つまり親が大根のしっぽやリンゴの
皮を食いながら旨そうなとこは育ち盛りの子供に食べさせて
たら、こどもはそれを肌で感じて何時かは親を楽にさせよう
と思うでしょ?












 それがフランス料理をフルコースで子供の時分からたべさ
せて、自分も分厚いビフテキを食べてたら子供は何時その
有りがたさに気付くでせうか?














 この理は、すなわち人間はその本性において、”人の為に
尽くす。人の役に立つ”ことの方が、”人に何かをして貰う
、人の迷惑になる”事象よりも、心からの満足感を得られる
ということではないでしょうか?












 つうことは、前者すなわち貧乏でお互いに助け合う親子
関係のほうが、金持ちでお互いに贅沢しあう関係よりも実は
恵まれているのだあ!と逆説的に言ったのが貧しさの利得
ということでしょうね。(玉虫のひと言洞察:あらゆること
には良い面と悪い面が重畳している。塞翁がお馬)

















 ふ〜む。日本も高度成長期を境として。「親族相互扶助
社会」から「自己責任、アリンコ/キリギリス社会」へと変転を遂げ
たのです。どちらがエエかは運次第。どちらにもエエとこ
もあればワルイとこもありますからねぇ。タハッ