5月27日(木)手段か目的か、それが問題だ

 こんにちは。概ね曇り。昼過ぎ一時驟雨。涼しい。
少し蒔いたつもりでももモワっと生えてきた小ネギの芽を
間引く。














 「ハーバード白熱教室」という3ちゃんの録画を見た。哲学
の講義録を公開している。カントの実践倫理についてサンデル
教授があっつーく語る。人間の行為には目的を実現するための
手段としての行為と、その行為自体が価値を持つ行為があって、
前者は「仮言命法(もし〜ならば〜何々すべき)」、後者は
定言命法(無条件に・・・すべき)」という。










 教授は例として「嘘をつかない」を定言命法として色んな例
を上げてセイガクと議論している。例として、「かくまった友人
を嘘をつかないで売ってもイイのか?」とか「浮気がバレそうな
ときに嘘をついてもイイのか?」とか際どい議論。教授はカント
に従えば、「アカラサマな嘘はダメダメYO、誤解を招くように
真実をいうのはイイー」と仰った。形式論的ですが結果に左右
されずに行為自体を評価するのが定言命法なのだああ!!熱っ!













 哲学は経験的には科学のように実証的ではないから、客観的
な正誤は言えんけど、目的あるいは結果によって手段的価値は
左右されるから、それから独立した行為自体に価値を求める気持
ちは分かる。このシンパシイや気質で哲学を選ぶもの一法。
なにせ五千年来、同じことを言った哲学者は一人もいないのです
から共感で選ぶしかないよね。でも、この講義は面白かった。
教授にへつらうセイガクも反抗するセイガクもいて、それを教授
が爽やかに捌いていく。こんなのがタダで見れる時代になったの
れすねえ。英語で聞けばもっと勉強になるかも。











 ま、現代人でいえば方法論的なハウツー人間と目的論的な熱い
人間との相克かなあ?方法論も個別的な狭いのはダメだな。メタ
に上がって応用が効くやつはそれなりに有用ではある。むしろ
熱い人間のほうが視野が極小ってな例もありますから、何ごとも
二元論では語れませんねぇ。













 同じハーバードでハウザー教授は1万人にアンケートして人の
倫理的な判断が無意識にカントの道徳律すなわち「人間を手段と
して扱ってはならない。」に従っていると例証した。
アンケートの例題は列車事故で5人死ぬか1人死ぬかの場面を4
つのシーンに分けて、その処置に納得できるかどうかを統計した
ものだが、1人の人が手段として使われて5人が助かるケースが
12%と最低の納得率で、5人を助けるためにたまたま1人が
亡くなるケースは85%と高率であったとか。我らは無意識下で
手段として扱われたくないという願望があるんですかねえ。
「一人の人間として只そこに居るだけでイイ」として扱われたら、
それがホントのしやわせかもね。デカンショー、デカンショ-