12月30日(水)満月。効率や生産性は道具の言葉。

 午前中雨のこるも後曇り少し晴れ間。4.9℃~12.3℃、41%。夜に入り北西風強し。朝地震あり。

 お節や正月料理の買い出しに行く。どこも混んでて超密でした。財布の紐もかなーり緩んでいる様子。やはし羽田さん亡くたったくらいじゃ志村さんほどのインパクトがないのかなぁ?東京の今日の感染発覚944人。さすがにアルコールにつおいわだすと言えども、消毒で手が荒れて来てヒリヒリ。

 

 人を手段としてはなりません:

 嘘をついてはいかーんと並んでカントの有名な定言命法(条件なしでやるべき倫理命題)の一つです。手段とは道具として扱うことですね。人類は石器や火の使用以来、イロエロな道具を発達させて文明を築いてきますたよっと。そのついでに人間自身を道具として手段かしてきましたのだ。

 でわ、人間を手段とするとどんな副作用があるのか?道具は人間の生活を快適にし便利にしてきました。道具になったってイイじゃん?という意見もあるでしょう。しかしっ、道具になったとしたら使えなくなった途端にポイされちまうんすよ。所謂人間を生産性でランク付けしたり、役に立たなくなったら山に捨ててしまうということが道具化なんす。

 役に立たない者はいらーん!つうのはナチスの優生論です。それで障碍者や傷病者、多民族をアボーンしてきました。そもそもアートというのはお腹の足しにならないし役に立たないという時代もありました。しかし人はパンのみで生きる者に非ず。芸術は生きて行くうえでエッセンシャルなものだっちゅうのが欧州の考え方です。つう意味では、ただそこにいてくれるだけでいいんだという赤ちゃんや老親だって生産性はないけどエッセンシャルなんすね。

 何ごとも経済効率や生産性やお金だけで価値判断する現在の風潮は、人間の価値を著しく棄損していると申し上げざるを得ません。(玉虫のカント曲解集より)