3月8日(月)言葉は如何にして意味を担うのか考

 こんにちは。寒曇り。夕刻雲間から光の矢。美しい。
寒いといっても手袋をするほどではありませんから、
だんだん暖かくなってきているのかな。














 言葉というのは使っているうちに少しづつ垢がついて
いって古びてきます。それで新しいイメージで出直そうと
しますが、いつしかそれも酸化圧力に負けて老化してしまい
ますぅ。









例えば:
女中⇒お手伝い⇒家政婦(ハウスキーパー)とか
陰間⇒お釜⇒ニューハーフとか
飯盛り女⇒トルコ嬢⇒ソープ姫とか

(「もし、そこなお女中。」とか女中は武家言葉で上品で
はあったんだけどね。)








「・・に不自由な人」ってのも良く言うよ。貧乏人は
お金に不自由な人ってのはそのまんまだが、毛髪に不自由
な人とか、脳が不自由な人ってのはちと行き杉。








 朝鮮人ってのが侮蔑になってるのは侮蔑が籠められて
るからで、事実として朝鮮人と言っている訳ではないからで
あーる。日本人というのも何処かの国では侮蔑になってるの
かもね。分からんけど。












 ガリ勉、秀才、天才とか役者やのうとか、女々しいとか
漢やのうとか、あいつは政治家だからな、とか発するTPO
によって良くもなれば悪くもなる。だから字面だけ切り出し
て取り上げるメディアは反則であーる。どのような文脈で
発したのかが二次元平面では極めて重要になる所以です。
このような事を知り尽くした上で尚且つ使っているのは印象
操作以外の何物であろうかな?












 漢文やラテン語など書き言葉として洗練されてきた言葉は
変化が少ないし、それなりに論理的な構造を有してはおり
ますが、だがしかし、それにどんな意味を担わすかというの
のは文化、流行、個人の資質による恣意性でありますから、
ユメユメ表層の論理に溺れることなかれ。(ネットの秀才を見て
て、感じたことなどを記す也。)










 アッホーッ!