2月17日(水)評論家・批評家ってのはいつの世でも安易だな


 こんにちは。終日曇り。さぶい。四捨五入したら零度だな、
多分。梅寒むと名づけよう。耳当てが出てきて助かる。








 網羅的に可能性を探る情報処理ぢゃなくって、人間様は
「常識的に考えて」可能性を狭められるから助かる。だって
AがBぢゃない可能性って無限にあるからね。有限なコンピュ
ーティング・パワーぢゃとてもチェックしきれねーぜ。
これを「フレーム問題」といふ。








 だから人間のやることには漏れがあるしミスもあります。
それがデメリット。でも効率はイイよね、コンピュータに
較べて。それで常識ってえのは経験に根ざすから人それぞれ。
漏れの常識、世間の非常識ってな事柄はイッパイあります。
東京の常識、大阪の非常識だってイッパイあるぜよ。日本の
常識、世界の非常識は膨大でしょう。日本はガラパゴスなん
て言う人もいるしね。しかし「世間に同調して暮らしなさい
!」とは言えませんが、それなりの覚悟は要るってことは確か
だろうな。JK










 準科学的に説得力を持たせるには、ホントは「常識」には
統計的な立脚点が必要でしょう。2000人くらいにランダム
にアンケートして、「これこれは常識や否や!」とか。でも、
個人もメディアも文化人もそんなこたあしないから、普通に
「常識」てのは「主観的な価値観」に置き換えれますね。
だから水掛け論。「漏れの常識=もまいの非常識」てか。















 常識的に考えて、世間の常識を変えてけるのは若者(ばか
もの)だけでしょうね。常識人には常識は変えれません。常識
人は小姑のようにチェックするのみ。人の言動をジロジロと
見つめて、シニカルに批評し罵倒すると。それで世間を消毒
している積りになってるんだからイイキナもんだ。












 ま、アホな論を立てるのと、それをクレバーに貶すのとは
100倍のエネルギー差があるでしょうね。JK
説明責任とか立証責任の所在で困難さは桁違いに大きくなる
のと同じです。説明なんて切りがありませんからねぇ。→
冒頭の「フレーム問題」にかへる。(いったい何時誰がどんな
根拠で流行らせたんでしょうね→「説明責任」。浮気のバレた
亭主はどんなに説明したって感情はなだめれまへんがな?アホ
かと。)