10月19日(火)にっぽん物差し論


 こんにちは。概ね曇り時折ぱらぱら。涼しい。でも元気な
幼稚園児(ぼく?)は半袖だい。一気に秋めいてきた今日
この頃。













 ふむ。ある物差しを持っていて、それで世の中を測ると
ブレなくってイイよね。でも、我らはついそれ(その物差し
)が絶対だと思い勝ち。世の中を良く説明でける物差しなん
て星の数ほどあるんだすぅ。












 まあ、世界の見方は哲学者の数だけあるとゆわれてるし、
政治的なスタンスでも世界の見え方は全く違うよね?学問
だってそうだ。イロエロな見解があって、それを検証し合っ
ってる。これが多様性っつうことだすぅ。信じる者は巣食わ
れる宗教だって色んな宗派がでけてるしね。プ












 わたしが良く見てる福岡ハカセの「動的平衡論」でも結構
生命体を説明できるし、たちゅる先生の「偏狭論」でも日本
の政治・文化・社会的な底流は良く説明でけます。血液型に
依拠した性格論だって、星座だって、風水だって結構当たら
ずとも遠からず。














 いやいや陰謀論だって6分の説得力を持つこたーありまっ
せ。富国強兵でがちがちに身を固めなけりゃぁ他国に侵食さ
れるぞお!つうのも国家の利己性に鑑みれば当たっているの
かも。唯物論だって観念論だって4分の理はあるからね。













 でも、たった一つの物差しを信奉し、虚仮の一念巖も通す!
つうのも突破力があることは認めよう。「光の速度だけが
絶対で、その他諸々(時間空間や質量など)はすべて相対じ
ゃあ」という理論も説得力を持ったしね。エネルギーと物体
は等価なんぢゃと。それに粒子と波動は同じだとか???
そもそもの根源に遡れば、実は何でもありなんすね。常識の
世界ではその常識の世界のたった一つの物差し以外は、全部
無しなんす。狭いですぅ、たっは〜、狭いですぅ!














 でもね、これはある程度止む終えんことなんすぅ。脳がそ
ういう造りになってるし、世界は脳が解釈してると思えば
そんなに多くの世界には対応できん罠。だからメタに世界を
見れるのは自分を捨てた人だけなのかも知れませんね。
わたしはそういう人を心から尊敬しまふ。でも、のたうって
自分の悪を認識し苦しんでいる人も尊敬しまふ。尊敬しない
のは自分は何でも知っている、という盲目の威張りんぼさん♪
かな??








 きみは果たして幾つの物差しを持っているのでせうか?
その物差しの数が、世界認識の深さだと思うわけですよ。ハレ?














追記:浮箸について。
 ちょと使い辛いなあ!なんてグチをこぼしましたが、すぐ
に慣れてきて、今ではスイスイ使ってますぅ。これは脳の適
応力ですかねぇ?上下逆さに見えるプリズム眼鏡を掛けて生活
しても、すぐにその世界に慣れてしまうんだって。逆に慣れ
た後、眼鏡を外すと異世界になるんだと。つうことは漏れは
普通の箸が使えなくなるんかいイイイイイイイイイイイ〜〜〜!










追記2:たっちゃんのツイッタにて。何か漏れの感性に皹く。
参るす・デイヴィスも、セロニアス・文句も、見ると・
ジャクソンも。鰓・フィッツジェラルドも、仮面・マッ
クレーも、皿・ボーンも。


 いやいや、やまと言葉が万葉かなで記述された時から
の伝統でやんすねぇ。面白言の葉遊び。江戸時代まで続
いて現代のオヤジギャグに名残を残すと。





プ