6月29日(月)ほんとは他人から自分がどう見えるのかというのはとても大切だったりして

 こんにちは。晴れときどき薄曇り。湿気あり。
今頃の時期は梅雨前線が上がったり下がったりしながら、
だんだん夏の暑さにかだらを慣らしていくんだね。






 今日の街角観察:
電車の向かいに座ったおニャのこが突然お化粧を始めたよ。
お寝坊さんなのかな?10分くらいで実に手際が良かったよ。
あっと言う間にヘンシーン!








 女性が化粧をするのは、他者の目を通した自己確認が男性
より優れているのだ!つう説があったね。たしか。化粧してい
ない顔は自分の顔だと認識するのですが、化粧したとたんに
それを他人の顔として認識するんだって。ホントカヨ?
つうことは女性は外ではいつも演技しているということかいな?
(日本顔学界つうとこで聞いたことがあるんです。なんか脳内
の状態の表出場所が顔と手らしいんだ。)








 男はヒゲを剃るときくらいしか顔を見ないと思うんですが、
最近は違うのかな。他者の視点から自己認識に勤しんでる男性
も増えたとか。そう言えば、「男は四十杉たら顔に責任を持つ
べきだ!」つうのは誰の言葉だったかな?多少、情緒的なコメ
のような気がしますが、果たして科学的・統計的に実証でける
のれせうか。主観的には勿論わたしも賛成ですがね。嫌いな奴
の顔はみんな歪んでみえまする。(これは色眼鏡)









 追記:ふとした観相ぢゃなくって感想。

とてもおつむのイイ人と、知識の豊富な人とが論争になるとね、
知識の人は文献学に依拠しガチ。特に日本にはこれが多いです。
「アレにはこう書いてあった。あの人はこう言った。欧米では
これが常識だよ。」とか。価値基準が自分の内心や自国にない
根無し草かよ。プ






でも、ニーチェギリシャ文献学が専門だったからなぁ。依拠
が悪いんぢゃなくて、そこから自分の説を自分の言葉で展開で
きないのが馬鹿の壁じゃね。ショボーン






 デジタル・アーカイブが増えてくるとコンピュータで文章を研究するのが
比較的容易になります。そこで、計量文献学ですYO.

■ 『シェークスピアは誰ですか?』 計量文献学とは何か (2005.8.27)

現代日本文においては、読点の付け方に書き手の個性が出やすいという。たとえば、井上靖は「と」の後に読点を付ける割合が高く、三島由紀夫は「に」、「を」の後の割合が高い。谷崎潤一郎は「は」の後に付ける割合が低い、といったようなことだ。ほとんどの人は無意識に読点を付けている。文章の特徴は、このような無意識に書く所に現れやすい。どの文字の後に読点を付ける傾向があるかという情報で、書き手を特定できそうだ。


って、どこからコピペしたのかもー忘れちまった!
計量文献学でぐぐっておくれ♪



追記2:
あまりにも無責任だからぼくもぐぐって見た。⇒金沢 賢という人のブログだった。文章診療師はともかく、計量文献学ってありそうですね。自分でわざと書いてても、癖になると填まっちまうのですよぉ。現にぼくも、「〜ぢゃ」とか
「漏れ」とか「つうことは」とか「槍杉」とか、止まんないんだYO〜!