2月2日(火)知識の限界と生命の連続について

 こんにちは。曇りときおり晴れ間。雪が上空の寒気を連れて
降りてきたようです。公園の芝生で保育園児が雪だるまを作っ
てた。幼稚園児は雪合戦。キャッキャ、キャッキャ、エーンエン













 科学的な知識、知見の情報量は年々加速度的に増加してい
ます。世界中の学者、研究者が毎年発する論文、書籍、記事
などの情報量は既に膨大なものです。ある人がこれを例えて、
「まるで、風船を膨らますようだ。」と言ってますた。中身が
増えれば増えるほど、未知との界面(即ち、疑問、分からな
いこと)も膨らんで大きくなって行くと。なるほど、分かり
易いイメージですね。でも風船の強度がいつか現実に耐えられ
なくなって、破裂して飛び散るかもね。その徴候は既にそこ
ここに出ています。 情報爆発の弊害。












 ある疑問を探求してその解を得ると、その先に更にその4倍
くらい新たな疑問が発生するという、核分裂連鎖反応みたいな
もんかな? 分からないから求め続ける。でも分かったら、
そこでお終い。目標は達成してしまったら目標では無くなる。
で、新たな目標を設定する。達成ー設定ー達成ー設定の無限
サイクル。まさにシシュホスの苦行ぢゃねーか。ばははは
コマネズミの人生かナマケモノの人生か?アリかキリギリスか?
で、今はスローライフなんて変てこなもんが流行りそう。プ









 

 生体の働きとか心と脳の働きとかを経験論で実証的に見ると
命や精神は天から降りてきたんぢゃなくって、物質による化学
的な働きなんだと思います。が、が、しかしね、ちょと遡ると
そこには物質だけぢゃ超えられない深淵があるというのも確か。
宇宙の誕生や生命が何でこの様にして今ここにあるのか?とか
は物質だけぢゃ永遠に説明でけねえと思うわけですぅ。













 しかし、生命の実相をつらつら鑑みるに、一方的に良いのだ!
つうのは皆無れすねぇ。良い点もあれば、それが逆に悪い点にも
なり得る。作用があれば、副作用も必ずある。進化で過剰に適応
すれば自滅する。増え杉れば、環境を食い潰し破壊して絶滅する。
すべてが微妙なバランスの上に成り立っております。だから何事
も、多少面倒くさくってスッキリとはしないけど、良い点悪い点
を認識し絶妙なバランスを取ってタイトロープの上を渡って行く
しかないのれす。 屁理屈と鼻くそは何処にでもふっつきます
から、理論に走り杉てはダメダメなのれすね。ヴェンヴェヴェン
 















 最近、気に入った辞世の句:



「この世をば どりゃお暇(いとま)と 線香の 煙とともに
 はい(灰)さようなら」 (十返舎一句)




 命ってまさに煙のような「現象」だと思うわけです。実体と
か「物」ではないような希ガス。水に沸き立つ渦のようなもの。
もの凄く複雑な現象だからそうでは無いように見えますが、
ごく単純化しちゃえば古池に飛び込んだカワズが起こした波の
ようなもの。波が消えて静まれば、たとえ水(身体)は残って
ても生命は無いと。それで、38億年前に最初に起きた一つの
波紋が、次々と新しいより複雑な波紋を生じながら今日に至っ
ていると。しかも情報をその内に秘めた波紋なり。波紋とは
すなわちエネルギーのことなり。(玉虫生命観より)


















 およよ、今気づいたがけふは平成22年2月2日という4連ぞろ目
の目出度い日ではないかい。ぞろ目フェチのタマムシとしましては、
本日を「フフフのフ」玉虫お笑い記念日といたしますう。では。