9月2日(木)過って在った、今ここ(そう、きみがここを見てるね)、未だ来ざる世界





 こんにちは。夏真っ盛り。もうすっかり忘れちまったけど、
たしかにこういう夏は有ったような希ガスる。ジリジリともえ
るようなあっちー夏が。


















 「想定内。」とかいう傲岸不遜な言葉があったような胆擂る。
人生のことで、そんな生き方をしていたら面白くも可笑しくも
ねーぢゃん。何が起きるのか分らないから、わくわくするん
ぢゃね?ま、その分不安もあるけど、不安の無い生物って死ん
だ奴だけぢゃね。(あ、矛盾表現かな?でも死んだ生物って
言うよね?) 否定も肯定も含めて全部認めてしまえば楽だ。
セラヴィ! ケセラセラ. けらけらけら♪














 確率の不思議。合理的にとても理性的に考えても不思議だ。
「越し方。今此処。行く末。」もう既に固まってしまった過去
は「運命」。変えようが無いから。そして今ここにある現在は
有り得ない確率。宇宙に物質が誕生して、太陽系ができ、その
第三惑星には水が豊富で、酸素もあり気温も±数十℃の範囲内。
そして何処かで生命が誕生して、それが連綿と続いて、わたし
の祖先が子孫を残すまで生きて何億の出会いと偶然で、わたし
にまで続いている確率は計算しようもなくゼロに限りなく近い。















 ようするに、「ありえな〜い!!!・・・!!」とビックリ・
マークが無限に続くくらいの有り得ない確率。でも、現実は「
今ここ」にしかないんだ。

















 でね、救いはね、未来は既に「運命」や「確率」からは逃れ
出で、可能性の塊なんすよ。自由意志の働く場。ここでお箸を
落としたら、地球の裏側では蝶々が笑うかも。何でも有り!
想定内なんて小さな世界ぢゃありまへん。ぜーんぶ、想定外な
のれすね。わたしの自由意志と世界の想定外の桎梏。














 かように、時間というものはわれらが運命と意思と偶然とを
もてあそぶ、奇妙なものなのれす。ゆめゆめ光陰軽んずべからず。
(時間は脳が作り出した幻影だ!という説もあるような無いよ
うな。体内時計の不可思議さよ?)嗚呼!












ホゲ