1月17日(日)この世界のとらえ方、今、ここで、すべてが


 こんにちは。典型的な関東の冬の一日でした。このところ、ズッと
そんな天気ですぅ。快晴かつ乾燥、風は冷たい。










 いや〜、なんか恥ずかすいな。わたしの自己中かつ自分語りのアホ
ブログに緑スターが付くとは前代未聞。ありがとう、ありがとう。
これで、わたしの独善的なエントリに少しは客観的な視点が入ればイイ
んですが、性格上改善はほとんど見込めませんねぇ。あしからず。









 で、昨日の中国文化エントリだけど、これと対極のメソポタミア
シュメール文化も楔形文字によれば現代とあまり変わらない社会を
営んでいたという。人間社会は産業革命により激変したと思われて
ますが、それは見かけ上の科学技術の問題で社会的には殆ど変わって
いないのかも。楔形文字は5500年前の世界最古の文字ですがこれが
アッシリアのアラム文字経由でフェニキア文字ギリシャ・ローマの
アルファベットに繋がった表音文字の起源でしたが、その途中では
日本語のような音節文字と表語文字の複合した形態もあったとか。
言語も生き物ですねぇ。ま、言語進化で生き残ってるのは黄河
メソポタミアの2大源流ですからね。ごまんとあった諸々の言語は
絶滅しちまいますたあ。はあ〜












 で、感性と悟性は世界をどう捉えるのか?アルファベットは26
要素で出来ている世界。有限な要素を正しい順序で並べて得れる
世界。一方、漢字は表象による無限の世界。だから科学は西欧で発達
しました。源流はアラビヤだけどね。要素還元論。人体は臓器に臓器
は細胞に、細胞はDNAに、DNAは分子に、分子は原子に、原子は
素粒子に。どんどんドンドン要素に還元して理解しようとします。












 そして感覚世界から入ってきた個別の情報を同化する概念化。
例えば、林檎だって色や形や味など一つとしておんなじ物はない。
だけど丸くて赤くてスッパ甘い果物を「林檎」と言語化すると、そり
は一つに同化されます。林檎も蜜柑も桃も木になる美味しい実だと
同化して「果物」と概念化して同化する。果物も食物の一種。食物
も栄養源の一種。とかどんどん同化して纏めて行くのが概念化です。
これが科学的な手法。帰納法ですね。同一化、単純化、原理化。












 一方、芸術は同じ林檎と呼ばれても色や形は千変万化。その個別
の違いを際立たせるという分化の方向ですね。所謂、演繹的な展開。
ヒトは言語能力(概念化力)を獲得したことでイメージ能力を失った
という説もあります。チンプなんかは一瞬で外界を把握する能力が
残ってるとか。言語能力と絵画能力は排他的である、なんて愚説も
ありますね。












 それで、西洋と東洋の違いを感覚世界か概念世界かで説明すると、
概念はどんどんドンドン纏めて行くほうだから一神教にたどり着く、
感覚(芸術)は個別の違いを際立たせるから多神教に向う、という
論理的には最もな説もありますね。プ 












 そこでネットの情報化はいかに?情報化とは雑多、多様な世界を
言語化してどんどん取りまとめて行くんだから、結局、世界を一元
化して単純にする方向なんだろうな、と薄っすらと思います。劣化
しないデジタルの特性にも支援されて、WEBのゴッドはそのうち
世界を一つの価値観で統一しちゃうかもね。











 一つのささやかな抵抗は、一日中一言もしゃべらずに本も読まず
に、ただただ感覚世界に身を任せて、流れる雲を眺めながらゆったり
と時をやり過ごすことでしょか。ああ、そんな風にして一生を過ごせ
たらイイな。空と地と海と悠久の宇宙の中で。