11月29日(日)映画を生かじり的に理解する古典作品。プ

 こんにちは。終日曇り。だいぶさぶくなってまいりました。
部屋では首にタオルを巻いて保温に努めとりまする。プ









昔、本屋で立ち読みしたドゥルーズの「シネマ」より永遠に。

写真、映画、CD,CG,WEBなど複写可能な媒体に
よる芸術は従来の絵画、彫刻などの唯一無二性を消失させ
芸術のオーラをかき消してしもた。プ










 しかしこれらの媒体により大衆化が可能なったのれすが、
これには功罪二通りの見方があります。
1.受動的になり大衆に思考の感覚を麻痺させる。つまり
 思考停止のアホ大衆を大量に発生させる危険があーる。
2.思考に衝撃を与える新しい媒体として能動的にとらえれ
 るかも。すなわち新しい創造の力となりえますう。
ドゥルーズは2.の方向で捉えたが、現実は幾分1.よりか
もね。プ











 まづハリウッド映画:これは空間的な安定性の追及(安定し
た構図−逆構図、同軸つなぎ、アクションつなぎなどの技法)
と感情移入し易い起承転結のストーリーで世界スタンダードへ。











 これには大きく分けて二つの手法があった。シチュエーション
(S),とアクション(A)の組み合わせで、1.S−A−S’と、
2.A−S−A’と表記される。1.はまず大きな状況の提示
(S),次に人物がその状況に対して行動(A)を起こす、
その行動によって状況が変わる(S’)。概ね平和なハッピー
エンドですね。
西部劇なんかが典型。日本では黒沢映画の「用心棒」なんか。
まずとある宿場で二つの博徒が対立してるっつう状況提示、
そして主人公の用心棒が登場してアクション、それによって
二つの博徒が壊滅し街に平和が戻るという状況’。ヒャッピー
エンドれすね。観客はカタルシスっと。プ













2.の方は溝口とか探偵物で、全体の状況が見えない中で
人物が出てくる、その人物が動いているうちに(A)、
状況が少しづつ分かってくる(S),それによってまた行動
が変わってくる(A’)という構図。大体この二種類に分類
でけるから諸君もやってみてね。プププ










 このハリウッド映画の安定したエンターテインメント手法は
爆発的に観客を獲得しましたが、当然芸術家は反発モリモリ。
ハリウッド的なものの解体を図りましたよ。プ








 まづ、イタリアのネオレアリズモ。状況(S)が提示も
されないし問題(A)が解決されもしないつう全くのアンチ・
ハリウッド。「自転車泥棒」なんかが代表的ですね。だらだら
悲哀が続くだけ。また登場人物が状況を変えようともせず、
ただひたすら彷徨う映画。「さすらい」(アントニオーニ)












 おふらんすのヌーベルバーグなどもこの流れ。無意味に
さすらい、状況を変えよとせずに無意味に終わる。ただその
不条理さで何か人生を考えさせる映画。「基地外ピエロ」
ゴダール)や「北の橋」(ジャック・リベット)など多数。
観客が自由に思考でける映像を提示するだけで、ハリウッド
のような押し付けがない。









 で、ドゥルーズじいさんは思考停止を避けるためには
ハリウッドは嫌じゃ!と言っておりまするが、ミュージカル
だけは認めてます。押し付けの臭さが無いからかな?ププ










 それでスクリーンも現実もなんら変わりがなーい!脳内に
転写されたイメージでは24コマのシネマもリアルも何の
違いもないのんであーる。と申しておりますよ。ついでに
3次元化して匂いも付けたら現実が夢の世界に迷いこむの
かもね〜。ではでは。どこかに刺激された生煮えのエントリ
ですた。タッハ〜
















補遺:ハリウッド以前の各国の映画


アメリカ:交互モンタージュ。金持ち-貧乏、男−女、
善ー悪などの反対概念を交互に映像化して違いを際立た
せる手法。
ロシア:弁証法的社会派映画。社会の矛盾を対立させ
それが止揚されて解決されていくタメになる映画。
フランス:光の運動を拡張して印象付ける手法。エプス
タンなど。これがどんな映像になるのかは是非一見して
みたいものだ。
ドイツ:光と闇の対立。表現主義ムルナウ、ヴィーネ
など。ま、これは白黒をどぎつく強調したイメージだな。
分からんけど。


ま、シネマも音と映像の芸術として考えながら見ると
一味違うかも。だけど、芸術ってなんだか、とても疲れそ
ーでやんすね。ふ〜っ しがない愚民には高尚過ぎるかも。
ぷぷぷぷぷぷぷ