11月28日(月)ありがたがってたてまつるつうのも避けがたい本性


 こんにちは。うす曇り。北西の風、気温15℃に届かず。
曇りだが空気乾燥。だんだん冬が近づいてくるなり。







 変なおっさんを地下鉄の駅で見た。自動改札機にパンパン
とでっかい音を立てながらSUICAを叩きつけてんの。何度も
なんども。ず〜〜〜っと。赤いアラームもずっと点いている。
僕が通り過ぎた後でも、後ろからパンパンパーン、パンパン!
とずっと叩いてる。一見真面目なサラリーマン風のおっさん
だが、通れるはずのカードが引っかかったもんで怒りのやり
場が無くなって、パンパンと叩きつけてるのでしょうか?
自分の思いどーりに行かないことなんて一杯あるんすから、
そんなに怒るなよ、と言ってあげたかったがトバッチリを
恐れてスルー。腹の虫の居場所が悪かったのか、はたまた
脳内怒り物質が過剰なのか、最近すぐに怒る人を見かけま
す。怒り物質を中和するスプレーがあったら掛けてあげた
いな。ハイハイ
















 人間の基本的な宿痾として、何かを神格化して恐れ入って
しまうとこがあるよね。そこまで行かなくても何かにオーラ
を感じてやたらにありがたがるとか。これは如何ともし難い
性向です。例えば、その辺に転がってる石ならなんの有難味
も感じないのに、「月面から取ってきた石です」なんてガラス
ケースに入っていればオーラ感じまくり。藝術作品でもこれ
は30億円の名品ですなんて値札がついていれば本体の良し悪
しに関わらずありがたがると。詐欺師が活躍できる所以ですぅ。



















 芸術作品にはこういう評価がどこまで行ってもつきまとい
ます。いわゆる「箔」が付くと。ハイデガーは『藝術作品の
起源』という本で、「芸術は美学に基づき、真理は論理学に
基づく」って思い込みを反転して、存在論的美学で真理を目
指す藝術を志向した。いわく、存在するものの真理を作品化
したものがモノホンであーる!と。すなわち。芸術を介して
己自身を、己自身の存在を作品化すると。ナンジャイ?ボディ・
ペインティングかよ?





















 オーラのない芸術って難しいよな。「いまーここ」でこれ
一つって希少価値がないと軽んじられます。必然的に、その
他大勢になっちまう。昔は貴族のサロンで少数の特定者が絵
画や音楽を鑑賞してました。それから美術館やオペラハウス
での一般民の集合的観賞に移行しますた。この時点でオーラは
少し薄れたかな?でも、大衆に晒されたことで芸術に値段が
付いて市場に流れ出しますたと。




















 で、今はどーだって?科学技術の指数関数的(桁違いな?)
発展により爆発的に表現・配布手段が向上しますた。すなわち
複製や伝達の技術が芸術の在り方を根本的に変えた時代なんす。
映画やアニメ、写真やレコード、CD,DVDからネット発信、大量
複製で何時でも何処でも誰にでも芸術が届くことで、必然的に
失われたものは何か?それはオーラです。(今でも、いまここ
性が残っているのは建築物くらいかな?)





















 一回性のオーラが失われて、我らが得たものは何か?そりは
あらゆる人が万遍なく芸術に接することによる評価の多様性で
す。それとやり直しができる安易さ(あんまし神秘化しない
おおらかさ)。更に今まで気が付かなかったようなテクノロ
ーの表現力ですね。早回しやコマ飛ばしによる時間の制御、拡
大・縮小による視野の増大など、時空を超えた驚きにより新し
い思考を人間にもたらしますた。



















 でも、これだけ人間精神にインパクトを与えれると、反作用
も当然あります。すなわち映像や音響、はたまたストーリーに
よる大衆の洗脳でやんすよ。ハリウッド映画を始めとする価値
誘導は現在まで続いてまふ。



















 何事にも二面性があるってことを良く認識して、賢く対処し
ましょうね。勿論、おバカに対処したって大差はねーってこと
は元々自明の理。人のアフォな言に左右されるなってことが、
このエントリの本旨なんすから。デハデハ










シネシネ、オオマヌケヤロー!