10月26日(木)「まったなし」の哲学とは。

 久しぶりの秋晴れ。11℃〜20℃、42%。赤とんぼがいっぱい♪久しぶりにプールだん。ちゅかりたぁ〜。






 科学と藝術とは:Science & Art

 かなり前の民主党政権の頃に、この言葉が流行りました。理研の野依さんと藝大の宮田さんがコラボしていた頃。科学や芸術に国民の関心を集めないと、仕分けされてしまうという恐れがなしたるわざかと。そもそもの発祥を考えれば、両者ともその発生はギリシャ時代にさかのぼり、同根であった。Scienceは「知」や「分化」を表し、 Artは「技法」や「技術」を表していた。いわゆる「科学技術」ですね。

 では科学と技術はどう違うのか?ごく皮相的には科学は原理であり、技術はその応用であるという解釈になる。しかしその精神の大本に遡れば、科学とは「まったあり」であり、技術とは「まったなし」であるという禅問答を聞いた。そのこころは、物づくり(技術)というのは諸々の個別条件下で個別的な出来事に対応しなければならないものであり、理論では考慮されない「他のもの」に対応する「まったなし」なのであーる。この範疇には、医療、軍事、裁判、教育などの個別現場対応が必須のものが含まれる。・・・そして科学とは、これら個別具体の「まったなし」に境界条件を科し、それを組織化することである。それゆえ、その抽象化の過程で、イロエロな纏め方がでけるから「まったあり」なんですぅ。

 学問とは「学」と「問」に分かれる。「学」は「まねする」→「学ねぶ」→「学ぶ」からきている。しかしそれだけでは新しい発想は出ない。すなわち「問う(思う)」ことが大切なんであーる。学びて思わざれば即ち暗し、思いて学ばざれば即ち危うし!この両輪がとても大切なんすよ。そいで、まったなしの個別具体的な営みを抽象し、文字や図形などの明示的表現で伝達するところに科学が生じます。これは伝達化、抽象化ですからイロエロなやり方があって、しかも間違えたりします。科学的事実がどんどん更新されるのはこの為です。というような見地から、科学は「まったあり」と言えるでしょう。

 話を戻して、芸術は技法・技術の範疇にありや?芸術が、理性よりも情動の方に傾いていると思えば、「まったなし」になり、現実を抽象し理論化したものだと思えば「まったあり」になります。伝達という見地からは後者になり、作者の已むにやまれぬ情動の発露とみれば前者になると。ま、この中間と言った方が幅が広いかも。

 いずれにしろ、理と非理の狭間に全ての人間的ないとなみがあると観ずれば、「美しさ」の概念も普遍と個別の間に揺蕩う何ものかと言へるでせう。喝!