2月10日 バカボンのパパになら成ってみてもイイのだ

 こんにちは。くもり。朝のうちは暖かいが昼間は段々さぶく
なる変な一日。もう三寒四温かな?







 なんか痺れるような感動とか面白いことが不足してるなぁ。
こういう時期が続くと人生はだんだん萎びてきます。本も小説
はあまり読まなくなったし、映画もあまり見なくなった。演奏
会にもご無沙汰で、海や山にも行ってない。閉塞感を打ち破る
なら、旅に出ようかな?旅なら毎日が非日常。












 ドゥルーズの解説を読んでたら定住民(エディプス的主体)と
遊牧民ノマド的主体)の相互作用で絶えず自己を作り直すべき
であーる。なんて出てたよ。










 簡単にいうと自己の形成過程ではまず母子未分化の欲望充足
段階から父性の介入による欲望不満に進み、最後は現実を受け
入れ、欲望を否定して父化し母のような女を求めるエディプス
コンプレックスの人間観。この資本主義社会の健全な市民を
エディプス的主体と言うらすいね。反してノマド的主体は自己
検閲・自己抑圧している常識人から自己のポテンシャルを全面
的に開放すべきであるとしたもの。つまり、フーテンの寅さん
バカボンのパパ的な人かな?










 たぶんエディプスだけじゃ息苦しくって世は回らないから
ノマドで風穴開けようって算段でしょ。でも、全員バカボン
ぢゃ、これまたシッチャカメッチャカですから、この辺を上手
く行ったり来たりでければイイなと。これを絶えざる自己差異
化の反復というのだぁ!それで自己生成から他者生成に向かい
「役者やのう!」になるのかな。→シネマ芸術論。












 ま、周囲の圧力や社会システムで押し付けられた姿から、自分
のなりたい者になろうよ、つうことかなあ?分からんけど。
何気なく日常を暮らしてるけど、資本主義社会によって作られて
る自分ってあるような希ガスる。なんか根源的なところで価値観
の大本みたいなのが。もともと僕らはマッサラな状態で生まれて
きて、父母の影響を始め社会的な要因、歴史的な要因、文化的な
要因で形作られてんだから、各種トラウマや各種コンプレックス
などの個人の経験だけに帰するのは、自己責任で社会的問題を
隠蔽するようなもんで、ある種の欺瞞なのかも知れませんねぇ。










 ではでは。