7月16日(木)見放された植物たちを見て感じたこと

 こんにちは。晴れ。暑い。一気に真夏。海に行きたいなあ。






 古い佇まいの街を歩いていたら、巨大な朝顔が二階まで家
の前面を覆っているのを見た。いや花がでかいんじゃなくて蔓
全体が長いんです。花は青紫の可憐なやつで、これも家中を
覆っている。ひきかえ、我が家のは盆栽みたいに感じたな。






 しかし植物とは言え朝顔見てると蔓の先端が動物のように
蠢いていて面白い。夕方見てからまた朝に見ると思わぬ方向
に巻き付いていたりする。う〜んと手を伸ばして届かないと
諦めて別の方に向ったりする。生きとる生きとるね〜






 一方、可哀そうなのは小ネギ集団。種を播いたまま間引きも
しなかったら全部細くてひょろひょろと芝生みたいになって
やがんの。プ 小松菜も間引きしたところは順調に育っている
が、途中で疲れて(飽きて)そのままになっているところは
みんなチビッコのままでドングリの背比べ。いや競争が激しい
ですねえ。









 植物たちを見ていたら、自由経済・市場原理で野放しに競争
させたらみんな疲弊してヒネて捻じ曲がってしまうんぢゃない
かと、ふっと思った次第。植物の生存競争と市場の自由競争は
ぜんぜんチゲーよ!という意見もあるのでしょうが、相手を
叩き潰すことが競争の原理なのれすから、野放図な競争は戦国
時代の疑心暗鬼や裏切り、力による制圧、どんな手段を使って
も勝ったほうが正義とかの世界になるのでしょうね。









 二宮尊徳翁は、「すべて商売は、売って喜び、買って喜ぶ
ようにすべし。貸借の道もまた同じなり!」と看破している。
客も同業者も自分もみんな喜ぶような商道徳つうのが人間の
社会と称するんなら必須ではあるまいか。ジャック・当り氏
がアフリカでやってたマイクロファイナンスなんて貸借道の基本なんぢゃね
ーのん?借りて喜び貸して喜ぶ共栄が社会の繁栄。こうして
見ると江戸時代もそんなに捨てたもんではあーりませんねぇ。










 時おりなじかはシラネどこころ荒びて、向こうから歩いて
くるオヤジの鼻っ柱にパンチを打ち込みたくなる衝動。
暑さのせいぢゃねーな、カミュじゃねえんだから。なんつうか
心の中の邪マグマが膨らんできた感じ。そういう時のおりは
たぶん兇眼をしてるんだろうな。みんな避けて通るからね。
むかし新宿西口でそんなおりにイチャモンつけてきたオヤジの
ケツに思いっきり回し蹴りをかませて、一目散にトンズラこい
たこともあったな。ふだんは羊みたいに優しい目をしているの
にね。不思議だ。