5月9日(日)自他の区別が無くなれば、進化論も進化するかも


 こんにちは。五月晴れ。薫風に誘われおさんぽ。躑躅
きれいです。親子づれが多いです。空にはポッカリ飛行船。
時おり子供の泣き声と、ともに風船が空に消えていく光景。







 ベランダに光合成マシンが無くなって久しいが、爛漫のこの
春(とき)をとらえ、葉緑体工場を敷設せんとす。本日、
天気晴朗なれど風はなーし。






 種から播くと、モワっと生えた若芽の間引きが面倒で、
そこで挫折してしまった経験を生かして今回は苗を買って
きた。ハーブやベビーリーフ、葉っぱレタスや大葉などなど。
小ネギは世話しなくても強かったから種を播いた。さてさて
今後が楽しみですねえ。日々、緑が育っていく様を見るのも
また楽しからずや。そうそう昨年は朝顔を育てた鉢に、ゴーヤ
を植えました。去年獲った朝顔の種が一杯あるけど、それは
もう何処かの空き地にばら撒いてこよう。果たしてそこで
生きていける野性が残っているのかの実験?














 




 根編んでるタールの化石から取ったDNAを分析したら現代
人との共通性が多くて、これは絶滅ぢゃなくって混血ぢゃ
ないのかな?って学説がニュースになっていた。
 北米原住民はあまり混血しないから少し現存しているが、
米原住民は殆んど混血してしまって残っていないとか。
最南端に最後の純血なおばあさんがいるとかTVでやってたな。
英国人とスペイン人の違いかな?ケルトとラテンの違いとも
いへる。殲滅よりも混血のほうが早く原人種はいなくなるの
かも。


















 個体がいくらこうなりたいと思って、そうなったとしても
生殖細胞に反映しなければ子孫には伝わらないから、意思は
進化に影響を及ぼさない、「獲得形質は遺伝せず」つうのは
進化学の定説になってます。つまり変異はランダムにしか起きず
、それを後から自然選択とか性選択とか人為選択とかで選び
出すと。分子(遺伝子)的には中立進化ってのはあって、別
になんらかの進化圧力によって選択されなくても統計的な変
異でどっかに落ち着くのだあ!との木村資生堂先生の説は
ありましたですよ。





















 先だって桜はヒトとの共進化だあ!ってな説に接してこり
は一理ある、蘭とかバラとかの植物や犬猫などのすべての
愛玩動物の多様性と繁栄を見るに、これらは全てヒトとの
共進化ではないのか?との仮説はガチで成り立つような気が
した。植物と昆虫のようなお互いがお互いを選び出す関係は
進化の何処にでも散見できるのだあ〜!(ランダムな突然変異
を弱肉強食で選び出す、なんて進化観は余りにも味気ない
ぢゃん。)

















 つまり、こうなりたい!つう意思は自分の遺伝子には反映
できなくとも、他者の選択には関与できるのだ。これ即ち
意思の反映ではござらんか?あまりにも個人意識がつおく
なった近代では見過ごされていた見解が、生物多様性の中で
見直されても不思議ではなーい。イロエロな生物相が纏まっ
て生態系を為すとの見地に立てば、我らが意思は充分に進化
に反映でけるのではアルマイト。(玉虫進化論 インスパイアド
バイ 今西進化論)デワデワ